盲目

とりあえずオオタニサンの件は一区切りついたようです。

あの時、私は大衆を見ていた。オオタニサンを疑う者、通訳を庇う者、一人の人間なのに見る角度によってこんなにも違うのだと。

だから世界=自分なのだ。「他人は変えられない」といわれる理由なんだな。

私は人を疑うのは悪いことではないと思っているけれど、問題なのはそれを真実としてしまうことだ。

つうか信じるにしろ疑うにしろ全力であるなら、「盲目」という意味で本質は同じなんだけども。

自分を信じるのはいいよ、大切なことだよ。だけど自分を信じることと自分の価値観を信じることは似て非なるもので。

自分の価値観や常識が絶対であり、1ミリも疑う余地がないと考えているなら、とても危険である。あと自分を基準にする人。私の中では避けるべきタイプの人だ。

これは潜在意識を学んで良かったと思ううちの一つである。

 

 

出費

先日実家に行って帰宅したら家の鍵が壊れてて、自分の家から閉め出しをくらいました。幸いなことに近所の鍵屋さんが休日にもかかわらず「たまたま」お店におられたそうで、約1時間半後に来てくれました。ありがてぇ。

原因はただの劣化ですが、スピ的には転機の兆しらしいんですよ。だけど「そうなんだー!ミャハ☆」なんて笑える状況ではない。

なんせ3月から想定外の出費が増え続けているのだ。旅行はまぁいいとして。既に洗濯機もヤバいし。毎回祈りと運頼みで動かしている。

ついでに歯も欠けちゃって歯科に行ったら5万円強のセラミックを勧められました。これまた歯が欠けるのも『人生の流れが変わる』とかでスピ的にはいいらしいんだけどね。私は全然、ぜーんぜん良くないわけです。

ほんで不意の出費が続くのも良い兆候とかいうんですよ、スピは。ほんまかいな。ただなー、私こういうの初めてかもしれん。あんまり家電も壊れるほうじゃないんで。

こういう時に出し惜しみすると運気がなんちゃらとか…そりゃ払えっていうなら払うけどさ。もうちょっと懐への配慮っていうか配分っていうか、そういうのが欲しいなって。

とりあえずワクワクしとけばええんかな。

 

 

使い捨て

相変わらず謎にすっきりしないまま突入した3月。久々に友達のRちゃんとご飯へ行きました。

去年は春からえげつない皮膚病を経てえげつない抜け毛に見舞われてたから、人と会うのを避けていたのである。皮膚と髪が落ちるからね。ただそれとモヤモヤは全然関係ない。

近況報告といってもお互いたいして報告することはない。「ちょっと仕事辞めようかなーとか思ったりしたんやけど」Rちゃんの「飽きたんじゃない?」に納得せざるを得ない。

「旅行行かん?船で」えーっと今月、会社から有休取らされてんだけど。つーわけで九州へ温泉巡りに行ってきました。

いやー、これがめちゃ楽しくて。「来てくれてありがとう」「誘ってくれてありがとう」このやりとり何回したかな。

10年近く前もRちゃんと旅行行ったねんけど、その時はそんな楽しかった記憶がない。友人としてのパワーバランスがおかしかったからだと思う。まぁ自分の問題なんですけども。

時間と楽しみを共有する喜びに目覚めた数日間であった。『モノより思い出』全くわからなかった価値観がまた一つ理解できるようになり。

生きるとは価値観を使い捨てていくことなのかもなーと思った次第。

 

 

フィルター

うかうか三次元の常識を真に受けるとエラい目に遭うよな。

『ダメなこと』ばっか増えて、疑心暗鬼になって。

かつての私も。くだらない人生だったわ。

なぜ潜在意識界隈では自愛、自愛と念押しされるのか。

ヒトは自分の意識を通して世界を見ているから。

愛のフィルターを通して世界を見たら、愛が見えるよってこと。

簡単な話なのである。

 

 

「なにもしなくても上手くいく」とても魅力的ではあるが、楽しいばかりではない。己の行いと整合性が取れないことに脳が答え探しを始める。

努力とか我慢だとかが嫌いになっても、私の中にはまだそれらの残り香があるのだと気付く。こんなイカれた価値観はさっさと捨ててしまいたい、そう思った。

そーゆーのはエゴに塗れた三次元が大好きな人だけでやってればよい。

 

正月早々からお買い物運はより一層絶好調で。私は大した願望なんぞないから今で充分である。それでも「充足を見る」メソッドをやってみたんです。

「あれが欲しい、これが欲しい」渇望していた頃は充足なんて見れなかった。「今ない」から欲しいのに、今に満足できないからこうなってるんだ、と。

でもあれは自分の理解不足だったのだと思う。全てを等価値にするためなんじゃないかな。特定の何かに価値を与えるからそれは特別であり続ける。特別なモノは特別な存在でなければならない。

本当は、世界は優しいのに。

渇望を望んでいたのはあの頃の自分だったのだ。だから「叶っていた」

 

未練

会社行きたくない。なにもしたくない。とにかく無気力。ついでにみぞおちの不快感ハンバなかった頃。

会社の人に相談すると気分転換の方法を考えてくれた。そして「全然そんな風に見えないのにね。いつも楽しそうだしw」と笑われた。そうだよ、楽しいんだよ。悩みもねーのよ。だから困っていたのだ。

ところで日本の波動めっちゃ下がってませんか。日本ってか地球?

私が感じた「頭打ち」はの理由は多分それ。三次元の常識内の幸せってもう限界だと思うのよ。

そんで基本に立ち返って潜在意識について調べてみたんです。願いを叶えるためじゃなくて、少しでも三次元から距離を取るため。

結局「ある」と「感謝」と「今ここ」しかなかった。

知らず知らず私はそこから離れていたんだなと。「そこ」は神でも宇宙でも内なる存在でも別の領域でも、なんでもいいんだけど。

 

再び私の世界に色が付いた。以前よりもっと鮮明な色。

私もう三次元に未練ないな。

 

ある

ちょっと前の話。会社用にアロマも使える卓上加湿器を買った。ウキウキでアロマオイルと一緒に持って行って取説を読むに、精油はダメで水溶性じゃないとあかんらしい。試しに入れてみたらやっぱり分離する。フィルターによろしくない。

加湿器用のアロマを求めて外出のついでに100均に寄ってみた。ネット情報によると取り扱ってるはずだが店舗によって違うのだろう。「まぁいっか」私はとにかく試してみたいだけだし。

会社に戻ると後輩が普段使わない棚を片付けてて。「これなんだろう」と奥から引っ張り出してきたのは古いルームスプレーだった。一応名の知れたところのもので、もちろん水溶性。いい匂いなのでありがたく使っている。

そんな感じで「既にある」を実感することが多いのですが。「おー。ナイスタイミング!」とは思うけど、必要以上に驚いたりすることはなくなった。

結局私たちに自由意志はないのさ。あるように見えるけど限りなく少ない。言い換えれば「できることがない」ともいえる。

「ある」に目を向けようと頑張る=裏側の「ない」を見ている証であり、藻掻けば藻掻くほど欠乏感を強くする。そしてそれを意思と自動認識される。だから理想的なポジションは「あってもなくてもいい(だってあるんだから)」になるんだよな。

あと、私は訳あって下期の半分以上ダラダラしてただけなんだけども、ボーナスは過去最高を更新した。

小さな「ある」をないがしろにしないこと。価値を測れば価値に振り回される。全ての良きことは「ある」。それでええんちゃうかな、と思う今日この頃。