トラウマについて

私がぐるぐると悩んでいた時、何かの拍子に「変われない人は、実は変わらないことを決めている」といった内容の記事を読みました。

潜在意識という言葉は出てこなかったけれど、そう望んでいるのは潜在意識だと私は考えています。顕在意識では嫌だと思っていても、潜在意識には善悪の判断がつきませんから、今の状態を何とか維持しようとするからです。

そして変われない理由としてトラウマを持ち出し、自分が思う「本当の自分」を擁護して、言い訳にしているだけなのだとも。

なにやらアドラーという人がトラウマを否定しているとし、それだけが独り歩きして「トラウマは存在しない」「甘えだ」と言い切る人までいる。ちらっと見ただけだけれどアドラーさんは完全否定しているのではなく、「経験に与える意味によって自らを決定する」というものらしいのですが。

 

私は元々物欲も少なく、貰ったお小遣いも貯金するような子供でした。親戚から貰うお年玉も貯めていれば大きな金額になります。それなのになぜ自分で5千円の物を買わなかったのかというと兄弟に渡していたからです。

私の兄弟は欲しい物を手にする為ならなんでもする。子供のくせに勝手に通信販売で物を買ったり、親のお金を盗んでお小遣いを止められると私から毟り取っていた。

これまでの事を反省し「もう二度としない」と泣かれると、私も泣きながらお金を渡していた。そしてお金を手に入れると豹変し「調子にのるな」と殴られる。

そんな兄弟のお蔭で決して裕福ではない家計は更に圧迫され、私は欲しい物を欲しいと言えなくなった。それどころか僅かに残っていた私の貯金通帳の残高は母親によってゼロになった。

トラウマにならない方がどうかしていると思う。過去の事を持ち出して、言い訳にするのは今に生きるなら確かに現実的ではないかも知れない。

しかし私は、トラウマが存在するのかしないのか?や、経験に対する意味付け以前に、「トラウマがある」という気持ちを捨てられない事の方が問題だと考えていました。

もう過去に対しての怒りを今の自分は持っていないけれど、もはやお金だけに限らず家族から与えられた全ての経験を、死ぬまでに自分の代で断ち切りたいからです。