今日の10時57分頃、牡羊座の新月を迎えました。この新月は星座の始まりということもあり、2018年の方向性を決める重要な新月で、スピードと即効性が最大の特徴のようです。
更に新月と太陽と天王星が重なるらしく、この天王星がなにやら凄いらしいのです。天王星は既存の常識や物事を塗り替える革命の星と言われており、思わしくない現状をぶち壊し新しいスタートを切る力に満ちているとの事。
1つの区切りが終わり、これから数年間にわたる変化へのスタートになるともありました。今回の新月についてはかなりの数の記事があったので、とにかく特別な新月には違いないようです。(私はブレイクスルー(!)という言葉に過剰に反応)
先日、あの子はどうしているか気になったので意識の底に潜ってみました。
するとあの子はもう泣いていなかったし、兄弟の後を追う事もなかった。ただ無表情で立ちすくんで母と兄弟のやり取りを見ているだけ。その顔からは何の感情も読み取れなかったのだけど、本当に何も考えていなかったのかも知れない。
私は安心した。これで良かったんだと思いました。
この世で起こる事の全ては自分の責任。これは捉え方が難しい。不幸な事故や犯罪に巻き込まれるのも本人の責任かというとそうではないと思うし、そんな言葉で片付けられたらたまったものではないから。
私自身の出来事に限って言うと、そもそも私の両親は未熟すぎて子供を持つことはおろか結婚をしてはいけない人達だったんだと思う。兄弟は褒められる要素がなかったから褒められなかっただけで、もう少しなんとかなる方法があったと思う。そして私はとんでもなく偽善者のくせに良い子のフリをした。
AC全開だった頃、「自分の責任」という言葉の意味をはき違えていました。私が悪かったから家族から冷たく扱われたのか?だとしたら私はどうすれば良かった?好き好んであの環境にいたわけじゃないのに自分で選んだというのか。そう考えていた。
今思うと「自分で選んだ」としか言えない。自分を粗末に扱う事を許したのは私。だからといって粗末に扱った方は悪くないという意味でもありません。相手の問題は相手の問題であり、それを何とかしようと思ってはいけないのです。
冷酷非情になるのとは全く別物で、”本心から”自分がそうしたいと思えるのならするべきだと思う。いかなる結果になっても自分の責任だという覚悟があるなら、それは愛だと考えるからです。
見返りを求めての行動なら、どんなに最悪の結末を迎えようと、それもまた「自分の責任」なのです。
自分の人生に責任を持つという事はとても重い。だけど自分で責任を背負う覚悟が出来たなら、人はもっと自由に生きることができるんじゃないかと思い始めています。
自分の責任という言葉は呪縛でもあり解放でもあるなと。
新月の願いのテーマはこれにしようと思う。