疑問

私は今、目の前で起こっている出来事を同じ視線で見る事が難しくなっている。説明し難いのですが、自分を含めた景色を違う自分が見ているような気がするのです。

父の妹は父の葬儀には来ませんでした。もちろん私達には連絡の1本も入れず、他の兄弟に聞いても特別な理由はなかったという。父の妹は冷たい人だったのだろうか、それとも見捨てたという罪悪感があったのか。そして父は人間として優しい人だったのだろうか。

今思うと、叔母はごく普通に結婚後の家族を大切にしただけだ。そして父にとっての家族は私達ではなく、元々の家族だけだったのだと考えています。それは母も同じで、両親共がそれぞれの家族を美化しすぎていたんじゃないか。事実、どちらも今の家族より実家を優先してきたのだから。

けれど元の家族はそうではなかった。その温度差と現実を直視しなかったがために招いた結果なのだと思う。何もかもを自分の事のように受け止め、感情移入してしまっただなのかも知れない。だとしたら自分で望んで被害者になったという事だ。過去の私も然り。

私は(自称)不幸な人達の中で生きてきたのだけど、不幸は伝染病のようなものだよね。本人たちは渦中にいるから自分の不幸しか見えていないが、必ず何らかの形で誰かを不幸にしている。

不幸な人はより不幸になり、幸せな人はより幸せになる、という言葉があります。持っているものが増幅されるという意味なのですが、過去の私はこの言葉を不公平だと思っていた。けれど今は当たり前なのかも知れないと考えるようになった。

与えた物が返ってくるというなら、不幸な人は不幸しか与えられないんだからね。不幸しか持っていないのだから当然のことなんだ。この場合の不幸とは物理的にではなくて心理的なもので、不幸という感情から生み出されたものは負の遺産しか残さないのだと思う。

 

私は最近、両親の事を一個人として考えるようになった。自分を守りたいがために子供に罪をなすりつける女、冷静な判断力もなく感情に任せて子供に手を挙げる男。両親の当時の年齢と今の私はさほど変わらない。今もし身近に他人として存在したならどっちとも関わりたくない。人として全く魅力を感じないからです。

なのにどうしてあんなに執着して、彼らに認めてもらおうと人生のほとんどを費やしたのかさっぱりわからない。だから、そこから派生している人間関係にも「なぜ私はこんな人達と関わっているんだろう」という疑問しか湧いてこないのです。

これからまた揺り戻しがあるかもわからないけど、少しステージが上がったような気がしている。