雑魚

「心ここにあらず」になったのはいつからだろ。普通の生活を送っているようで意識がどこかに行ってる。記憶力と思考力が格段に落ちました。思考があちこちへ飛びすぎて制御できない。ふと気付けば空白の時間ができていてビックリすることもよくありましたね。地味にキツいです。

今朝の記事は前日寝る前にざっくり書いて朝に整理したものなんですが、近頃は起きるのさえ辛い日が続いてたので自分で驚いた。とてもじゃないけどそんなことできる状態じゃなかったんだもの。ん?さては復活の兆しか?と期待してみたよ。それはそうと、これが恒例の好転反応だとすれば何に対する好転反応なのかね。

スピ的な好転反応は潜在意識が変わろうとしている時に、「変わりたくない」と無意識から断固拒否されるから起こると言われております。だけど今の私には願いがない。少なくとも顕在意識では変わりたいとも変わりたくないとも思ってなかったはずなのに。解せぬ。

ただ。意識はどっかにいってるんだけど、それが力強いんだよな。脳と体はクタクタなのに、精神はハイテンションというアンバランスさが更に謎。だから他人を通した私はどちらかというと『浮かれている』ように見えるかもしれない。その反動で不安やなんやかんやに襲われて、心が闇鍋状態だったのではないかと分析しています。

朝の期待は私を裏切ることなく、今日は総合して良い1日でした。久しぶりに自分に戻れた、というか会えた感じ。澄み切った青空が綺麗で、会う人は全員笑顔で、シアワセな日だった。私は変わろうとしていたんじゃなくて、変わらなければいけなかったのかもしれない。

 

余談ですが、自己愛性人格障害について、いつか書きたいと思っていたことを。

まず正常な自己愛とは自分を大切にできる能力です。しかし成熟されていない場合、つまりありのままを自分を受け入れ肯定して愛することができていないゆえに、自分を大きく見せようとしたり、他者からの評価に過敏になります。これが尊大な態度や、いわゆるマウンティングに繋がるのだと思います。どうにかして自分を認めさせたいんですね。

厄介な心理ではありますが、しかしここが彼らの最大の弱点でもあります。『自分を大切にできる能力がない』彼らは自覚していないように見えるだけで、根底(無意識)には、本当の自分では愛されないという『自信のなさ』を抱えています。致命的な弱点です。ですから他人に埋めてもらうしか方法がなく、ある意味で可哀相な人達なんです。

自分のありのままを受け入れて欲しい、肯定してほしい、愛されたい。だけど無意識は無理だと思っているから、愛される(であろう)自分を必死に演じています。ところが自分のフィルターを通してるだけなので、要は思い込みでしかありません。これこそが愛されない理由なのに、それに気付かない限り彼らは演じ続けます。無意味なダンスを踊っているわけです。滑稽じゃありませんか?

自己愛に打ち勝つには、彼らが持っていない、欲しくてたまらない能力を手に入れること。上手くあしらったり、さり気なく逃げたりと小手先の対応で共存するのもアリですが、『打ち勝つ』にはこれしか方法がないかもしれないと、今はそう考えております。相手からの攻撃を止めようとするのではなく、攻撃できないようにする。相手を変えない、自分を変える。

ところが彼らは今まで見下してきた人が変わろうとしているのを察すると「のび太のクセに生意気だぞ!」とばかりに潰そうとしてきます。しかし本当にその能力を手にした時、必ず変化が起きます。大丈夫です。自分が変われば相手も必ず変わります。(ただし中途半端なところでやめては元も子もないので突っ切りましょう)

なぜなら彼らだって一応ヒトです。ヒトは理解できないものは怖いんです。そういう生き物なんですから。この能力を手に入れてしまえば、彼らなんぞはっきり言って雑魚です。彼らにいくら地位があろうが金があろうが関係ありません。それらをもってしても手に入れられない能力だからです。

 

余談ではなくなってしまった。