当たり前

ウチの女性社員の間では、とあるお店のパンがブームになっています。少し前、それを知った自己愛が焼き立てのパンを買ってきました。お昼を待たず、おもむろに食した私はつい、「幸せ~(ハート」という言葉が口から出てしまったのだ。…しまった。このオッサンの前でだけは言いたくなかったのに(悔。でも仕方ないよね。パンに罪はないのだし。

その後、たまたま自己愛と二人になった時、「次は(違うお店)にしようか?」「あそこは(違う種類)のパンも美味しいんだよ。次はそれも買ってこようか?」などとウキウキしながら話しかけてきた。鬼の形相で私に暴言を吐きまくったオッサンと、目の前で満面の笑みを浮かべているオッサンは本当に同一人物なのだろうか。

それ以来、自己愛は何故か頻繁に食べ物を買って持ってきます。「幸せ」という言葉は人をおかしくさせるのかもしれない。斎藤一人さん的に言えば天国言葉ですからね。当たり前っちゃあ当たり前なんですけどもね。今後は積極的に使っていこうと思う所存。

 

仕事納めの昨日、ウチの会社は銘々好きなことをして過ごしていい日で、午前中はだいたい皆自分のデスクを片付けている。10時半頃、共依存が「みんな、ちょっとお茶でもしない?」と言い出した。ご丁寧に片手でつまめる生菓子まで用意して。あの「守銭奴」と呼ばれた彼女が自分のお金を出して、皆で食べるために買ってきたみたいです(驚

世の中には(主に女性の間で多いらしいですが)「お菓子外し」という職場いじめが存在する。皆にお菓子を配る中、特定の誰かだけに配らないという、実にくだらないものだ。私も過去、彼女から結構やられました。別に要らないからいいんだけどさ。その彼女は今や何に関しても「(私)さん、先に選んで!」と私を優先するようになった。

 

過去が崩壊したからかアセンションしたからか、私は今の状況をただ『受け入れている』。「こんなことで過去はチャラにならないぞ!」と息巻いて何になる。怒りや恨みの連鎖が続くだけではないか。かといって必要以上に有り難みや恩を感じることもない。要はこの状態を「当たり前」だと思っているのです。

あなた方は、それほどにその願望を、重要で、大切で、今は当たり前じゃないから、当たり前にしたいし、今すぐ欲しくて欲しくてたまらないものだと思ってるだろ。

そう思うなら、それは現実でそう振る舞うんだよ。

あなた方がそういう思いを強く抱けば抱くほど、より強くそれは現実でそう振る舞う。

あなた方がその思いを維持できるようにね。もう嫌だ!たくさんだ!という思いをね。(詭弁さん)

顕在意識の「当たり前」は慢心や傲慢さに繋がるが、潜在意識の「当たり前」はただひたすらフラットなのでその心配はない。ここ間違えてはいけないポイント。