2軒目のサロンに初めて行った時、ヒーラーさんが「(私)さんはおそらく、他人よりもご自分を責めておられます」と言った意味がわかった。私は無意識に「私が悪い」という趣旨の言葉を多用していたようだ。
私は『この世で起きたことは全て自分に原因がある』と思っている。
だから「私が悪い」は間違ってないのだけど、自分を責めているのとは違うんだよね。自責は諦めでもあるし、ただの慰めともいえる。
当然ながら相手や環境に全く非がなかったなんて思っていない。が、そもそもどうしてそんな人と関わったのか、そんな環境に身を置いたのか。それらは自分で決められたはずだからだ。
たとえば依存心を持っていた「自分が悪い」について。
依存心が引き起こす災いは多い。今、私は誰にも、何に対しても期待していない。ただし昔のような捻くれや拗ねの感情ではなく、あるがままを見ているだけです。対象に対してコントロールしようと思わないだけで。
人間は期待を裏切られたときに怒りが湧く。逆に言えば、最初から期待がなければ怒りも湧かないの。よって不快感が極端に減ります。
しかしそのためには理性的に状況をコントロールしなければならない。期待しないからといって、全ての結果を受け入れるわけにはいかないのだから。
嫌なものは嫌、ダメなものはダメと角を立てずに伝えるスキルも必要だ。受容といえば聞こえはいいが、ただの我慢になってしまうなら意味がありません。
相手任せにするならするで、その責任は自分が追わなければならんと思っている。期待や都合の良い想像を捨てて、相手がどうであろうと自分にとって最善の結果になるよう、あらかじめ決定しておけばそう悪い事は起こらない。
生育環境のせいにして、それらを知らなかった、知ろうとしなかった「私が悪い」と言っているのである。
ヒーラーさんとは齟齬を埋められたので良かったが、理解できない人もいると思うので、「私が悪い」というような趣旨の言葉は迂闊に使わないように注意しなければな、と思いました。