『二次元』 自分には一生縁がないと思っていた私に『推し』と呼ぶ存在ができた。
先月なにげなくアマプラで観始め、全75話も既に3周目。1日1回は動くリヴァイ兵長を見なければ気が済まないほど好きです(惚)
いかにリヴァイ兵長がカッコよく、どれほどハートを鷲掴みにされているかは置いといて。
進撃の巨人が流行り始めた頃、入社したばかりの若者に勧められてネットで見ていた。だけどリヴァイ兵長などの登場人物が多くなってきた辺りで挫折したんだよな。もったいないことをした。人生損してる。
でも。きっと今だから、私に刺さったんだろう。
バットマンの『ダークナイト』シリーズ三部作、「バットマン・ビギンズ」「ダークナイト」「ダークナイト・ライジング」、そして先日は『ヒトラー~最期の12日間~』を観ました。進撃の巨人を含め、これらに共通するのは【善と悪】。
かつての私は、「信じる」という言葉を、なにか特別なことのように考えていた。特別だったからこそ、そこに価値を見出し、信じたものを「特別」に仕立て上げていたのです。
だけどそうじゃなかった。「信じる」云々のもっともっと前。無防備に潜在意識に取り込んだ時点で既に「信じていた」んだ。
私はもう誰の言葉も無防備に取り込むことはできません。その人が信じているものを見ている、そんな感じ。
一つ言えるのは、想像力のないヒトは怖いということ。精神の無防備は決して「素直さ」ではないと思う。自分だけで済めばいいけど、大抵は周りの人も巻き込んでしまうから。
「いい人なのに不幸」という現象は、こういうのが原因で起きるんじゃないだろうか。
自分を、誰かを大切にしたいなら、無防備じゃいかんのだよ。
なにもない「普通の日」は勝手に来るんじゃない。選択の結果なんだ。