愛想笑い

私は長年、ご近所との駐車トラブルを抱えている。

井上尚弥の試合があった日、色々あって帰宅が遅くなったせいで焦っていた。そんな日に限って自分の駐車場に車を入れることができず、10分弱車中で待機する羽目になる。

事情もわからんではないし、事を荒立てたくないという気持ちもあって、これまでは愛想笑いで誤魔化してきたのだが。車を停めて歩き出した瞬間、元凶の家の人が後を追いかけてきて「すみませんでした」と謝ってきたのだ。

こんなことは初めてだけど、私はもう笑えなかった。かろうじて口元だけで笑みを作り、軽く頭を下げて立ち去る。

そして翌日も私は車を入れられなかった。その日は運転手が乗っていたので、パッシングで合図を送ってみるも、若い女性は周りをキョロキョロしたのち再びスマホに目を落とす。周りには誰もいないけど。

何回目かのパッシングとジェスチャーでやっと気づいて車を移動させてくれた。その女性も「ごめんなさい!すみませんでした!」と窓から身を乗り出して叫んでいた。でもその日は口元すらも笑えなかった。

ごめんね、私、鈍い人無理なのよ。というか一番鈍感なのはその家なんだよな。近所というだけで私はなにもなかったように振る舞う必要はあったのだろうかと疑問がわく。このモヤモヤを昇華するために私はなにをするべきか。

まず今の状況は変えられない。なのでその日を境に私は家の人に挨拶をしなくなった。というか目を向けないから誰がいるのかもわからんし。決して無言の怒り表明ではないよ。私の世界から存在を消してしまっただけだ。

お陰で今までのモヤモヤもすっ飛び、清々しい日々を送っています。

『あいまいな友人であるよりも、はっきりした敵であれ』ユダヤの格言である。

怒りを抱えたまま愛想笑いを浮かべていても、それはきっと伝わる。相手のためにもならないし、なにより自分のためにならない。

現実を受け入れることと我慢することとは全然違う。相手を赦し自分も許すこと、じゃないかな。