想像力

有効期限が迫ったポイントで鈍感力という電子書籍を買ってみた。ざっと流し読みしただけだけど、やはり今の私には刺さるものがなく。気になったのは自称敏感・繊細な人の多さである。

私のように鈍感さを自認しながら読む人はあまりいないのではないかと思った。鈍感力とはなんぞや?も含め、「複雑な現代社会を生き抜くためなどというフレーズに惹かれた人が多いお陰でミリオンセラーにまでなったのではないかと妄想する。

そんな世の中で、だ。「自分のような敏感・繊細人間は生きにくい」と嘆くのは無理があるだろうっていう。常々間違った「想像力の欠如」というワードに違和感を覚える者として、不思議でならない。

間違った想像力というのは「他人の気持ちに鈍感」という意味で使われる場合である。他人の気持ちを察するのならまずその他人を理解する必要があるのでは。

例えばネガティブな出来事があったとして。「これをバネに頑張るぞ」と密かな闘志を燃やしている人に対し「カワイソウネ(ヨチヨチ」なんてのは見当違いを通り越して迷惑だったりするのだ。

また自分が如何に過酷な状況にあっても慶び事に水を差すようなことを言ってはいけないということにもなる。しかしだ、こういう場面で「他人の気持ちに鈍感」と言われる人は喜んでる側の人だったりする。

それはつまり悲しみや苦しみに寄り添うことのみを指しているってことです。想像力の使い方おかしくね?

鈍感力は楽天的・楽天主義ということらしいが、信念や価値観を変えるのは通常難しいと思われ。悲観的且つ痛みや辛さへの理解だけで人間の善悪を量るなら、そりゃこの世は修羅だよ。

鈍感力万歳。

 

朝から食べるすき焼きは美味しい。