焦点

とあるYouTuberさんの『10年以上苦しんだ過敏性腸症候群 完治のきっかけは「自分は不幸」をやめたこと』という記事をさらっと読んだ。

確かにな。「自分は不幸」そう思わなくなって、どれくらい経つのかわからない。そもそもいつ無くなったのかも覚えていない。気付いたらそうなっていた。

母は頭痛の種ではあるが、私は別に不幸じゃない。あの家に生まれたことも、今となっては不幸だと思わない。とはいえ、何かの意味があったとか、これで良かったんだという気持ちもなく。とにかく「不幸ではない」それだけだ。

世界は利権で動くし、人間は思い込みで動くものと思っている。

たとえば。経済的な理由から車を所持しない若者が増えているというが、その反面で高級車の納車待ちをしている若者も多くいたりする。この世には貧富の格差という言葉だけで片付けられない、本当にパラレルという世界があるんだなと。

その人が正しいか間違ってるかなんて他人が決めることはできない。その人が「正しい」と主張するなら、それはその人にとって正しいのだ。

ただし。見ている世界が違うのだから、他人の意見をいちいち気にするのは勿体ないと思う。この世で起きることの大半は「あなたの世界はそうなのね」で済む。

「自分は不幸」のメリットはない。あるとすれば共依存的な人を引き寄せるか、不幸仲間を作れるくらいですかね。それをメリットと思えるかどうかも本人次第だけど。