自己愛の強い人にとっての仕事とは

 

私の知る限り自己愛は頼みごとが多いのも特徴的です。ネットで検索すれば簡単にわかるのにわざわざ人に聞くといった簡単なことから、今しなくてもいい事を急いでいる人に頼むといった嫌がらせに近いことまで、とにかく他人の手を煩わせます。

自己愛は自己評価が高いので自分の為に他人が動いて当然で、自分にはその価値があると思っています。他人の労力や時間を使うことに何の疑問も感じていません。

これが家族や友人なら、関わりたくないと思えばきっぱり断ればいいだけです。

しかし仕事となるとそうはいきません。本当に必要な仕事なのかそうでないのかの線引きが難しい。特に普通のサラリーマンは上司に逆らえば仕事放棄と見なされますから。

 私は自己愛のこの行動を仕事というフィルターを通して見ていたので、大きな勘違いをしていたのかも知れません。

もしかすると試し行為(自分のために相手がどこまで受け入れてくれるか試す行為)でもあるんじゃないかと。自己愛は自己評価の低さも併せ持っているため、他人から見捨てられるのを恐れているからです。

他人が自分の言いなりになることで自分の力を誇示できる。他人が自分の為に動くことで承認欲求が満たされる。それに加え他者への共感力がないので、欲求を満たす為なら相手がどうなろうと全く罪悪感を持つことはありません。

 

自己愛は仕事において、後々問題を引き起こすような指示を出してくることがよくあります。幾度もやり直す事になったり、クレームの元になったりしているにも関わらず何度も繰り返す。

私はずっと口で言う割にあまり仕事ができない人だと思っていました。でも今は部下が自己愛の尻拭いをしていることすら喜びなんじゃないかと考えてしまうのです。

人を手足のように使う能力は長けている。それは才能だと思いますし、ある意味では仕事が出来る人なのでしょう。

ただ、本当は仕事のことなんてたいして考えていないし、むしろ自分の欲求を満たすために仕事を利用している。「仕事だから」と言われると抗いようのない正当性を感じてしまう人が犠牲になってしまうのかも知れない。

もし相手が自分の思い通りにならなければ”仕事ができない”という、もっともらしい理由で思う存分相手を責めることができますし。自己愛にとって仕事とは最高に都合の良い隠れ蓑だと思えてならないのです。

 

隠れ蓑を取ったら自己愛はどうなるのだろう。