住み分け

類は友を呼ぶ。私は自己愛の取り巻きが最初から嫌いだった。傲慢で常に他人を見下し、過剰に賞賛を求め、自分達だけが正しいと信じて疑わない。その反面、苦労話や不幸自慢で同情を引いたり注目されようとする。

自己愛寄りの人とそうでない人が集まると何とも言えない空気になる。自己愛達が下らない武勇伝を披露し褒め称え合うのを、そうでない人達が乾いた笑顔で相槌を打つだけ。居た堪れない。

そうでない人達とは所謂普通の人で、どちらかというと恵まれた環境にある場合が多い。自己愛達は時にこうした人達を悪意をもって攻撃する。自分の立場を利用して無理難題を押し付け、相手を困らせて憂さ晴らしをしているのです。

その場にいればさりげなく阻止してきたけれど、私は立場上自己愛寄りにいなければならない事が心底恥ずかしく、反吐が出るような思いをしていました。

去年色々とあった後、内容は書けませんが自己愛のクズっぷりを目の当たりにした時、関わってはいけない人間だとつくづく思い知らされた。そして同類の人間も。

その後暫く自分が分離したような気持ちで生きていた間に何かが変わったのかも知れない。自己愛はもちろん取り巻きに対しても愛想笑いすらできなくなってしまった。偶然ガラスに映った私の顔はとても冷たくて、1度だけ見たIさんの蔑むような目と同じ目をしていた。

今はお決まりの挨拶程度で、明らかに避けられているのがわかる。その代わりにやっと、そうでない人達の方へ来ることができた。

こっちは穏やかで平和で思いやりに溢れています。あの乾いた笑顔からは想像がつかないほど楽しそうに笑い合う。そんな何気ない事がとても幸せだと感じる。

 

生きる上で他人に対して好き嫌いを露骨に態度に出すのは得策ではないと思う。しかし出さなければ明後日の方向へ勘違いする人間と線を引けない時もあります。対立しない程度の住み分けは必要。