受け入れない権利

最近「新しい私」と書いておりますが、正確にはずっとずっと昔の自分に戻っただけだと思う。GW前からの兆候が勢いを増したような。長期休みを挟んで思考が大きく変わってしまった。

子供時代どこか冷めていた私は、下らない理由で怒る家族が理解できなかった。特に母の言動は望みとは反対方向へ向かうから尚更。そして自分は悪くないのに人の泥をかぶって頭を下げなければいけない理不尽さにもほとほと嫌気がさしていた。

母の口から出る言葉はほとんどが愚痴か文句なのですが、その不快さは全く面識のない人にまで及ぶ。例えば新幹線のホームで隣に立った人だったりとか。「どちらからですか」という会話からいきなり、故郷を離れた理由が父であることや、その父や姑からどんなに虐げられてきたかという所まで光の速さで話は飛躍する。

私は母の話を遮り、困ったような顔をした他人にひたすら頭を下げて、母をその場から引き離すという作業をずっと繰り返してきました。赤の他人にする話じゃないだろうとキレるも、「本当の話なのに」と全く悪びれないのだ。そういう問題じゃない、他人を不愉快にするからやめろと何度言っても理解できないのです。

この頃の私は他人に執着するなど考えられませんでした。仮に恋人が私の身体的な何かが気に入らないと口に出そうもんなら、即刻別れを切り出していたと思う。傷付いたり怒りを感じるのではなく、ただただ「じゃあ気に入った人と付き合えば万事解決」といった感じだ。さっさと別れて好みのタイプを探した方が早いしね、という単純な理由。

こうした私の性格は理解されにくいものだった。私がおかしいのか周りがおかしいのかはわかりませんけど、とにかく批判と否定をされる事が多かったです。特に家族の中では異質な存在だったようだ。そうしたものに耐え切れず、拗らせて他人に依存する気持ち悪い女になったんだと思っている。

平成のほとんどを依存と依存からの脱却を試みるという事に無駄な時間を費やして、結局1周まわっただけだったというなんともお粗末な話だ。だから今となっては何故あんなに他人や他人からの承認とかに執着していたのか自分でもよくわからない。言葉通り、他人の人生を生きていた感しかありません。

 

自分を生きている。最近よくそう思う。

私は話をするのが嫌いじゃないし世間話や馬鹿な話もよくするけれど、基本的に言葉が短い。途中経過はさておき、先に結論を述べて欲しいのです。もう他人の気持ちを推し量ったり、常に言葉の真意を読み取ることに疲れてしまった。だから言葉と心が一致しない人にはもう関わりたくない。不毛なやり取りから卒業したい。

今も面倒な共依存者から多大な迷惑をこうむっておりますが、彼女そのものが良いか悪いかの判断はできません。人には適材適所というものがあり、彼女自身が決して必要のない人間ではないからです。必要のない人間なんてこの世にいない。ただ、私にとって彼女は必要ではないだけで。本当にそれだけの事なのです。

掃除がきっかけだったのか違う原因があったのかはよくわからないのだけども、とにかく私とあの人達とは完全にレールが別れてしまったと思うことがよくある。でも多分だけど最初から別れていた。絶対に理解し合えない何かがある。言葉にすると同じでも微妙な心の機微を説明するのは難しい。

私は自分を否定してくる人ばかりに気を取られ、どうすれば受け入れて貰えるのか、自分の何が悪いのかとずっとそれだけを考えて生きてきた。でも元々私はその人達よりは普通に近かったんじゃないだろうか。もしかするとより普通じゃない可能性もあるけど、特に困ってないのでいいです。

人間に興味はなくても他人と上手くやっていきたいとは思う。他人をわざわざ不愉快にする必要などないし、気持ち良く感じる言葉を使った方がいいではないか。普通の人はこういう事が当たり前に出来る。だから揉め事もないし、ちゃんと「お互い様」が成り立つのに。笑顔の絶えない関係って維持する意思と多少の努力がないと出来ないよ?

今回共依存者に巻き込まれた被害者は複数人おり、怒り心頭というか言葉で言い表せない感情を持っている。もしかすると共依存者は故意なのではなく、そういう特性なのかも知れない。彼女は罪滅ぼしのつもりか、私から見るとご機嫌取りとも伺える謎の行動に出たとラインが来た。しかし、それすらも被害者から見れば嫌がらせにしか見えないのが現実だ。私が母に対してそう感じるように。

母も家族も愛せない。私の反応は普通だったんじゃないか。

私は今、自分がしがみつこうとしていた人間関係にどうしようもない嫌悪感を感じている。家族に似た自己愛に対しても嫌悪感を隠せない。つまらない事でパニックになる彼を見下してしまう。「なんでそんなこともわからないの?」と言いたくなる自分を抑えるだけで精一杯だ。

ごくごく普通の人が間違えたりパニックになってても微笑ましいとさえ感じ、にこやかに流せるのに彼等にはそれができません。すさまじい憎悪の感情が湧いてくる。そして、彼等も私に対してこんな気持ちだったんではないかとも思う。理由はなくてもする事なす事全てが気に入らない、みたいな。お手上げだ、相容れない。

過去にあそこから脱却しようと試みた時、後ろ髪を引かれ、下らない情けに負けてしまった時の事をよく覚えている。せっかくのチャンスを逃してしまったばかりに、私は再び底なし沼へ引き戻されてしまった。それだけは悔やんでも悔やみきれません。捨てられた犬のような目をする自己愛に空っぽの目を向けられる今は、あの頃とは違う。

 

結局人間はありのままの自分でいられる人と一緒にいるのが一番幸せなんだと思います。もし、ありのままが受け入れて貰えないなら諦めればいい。受け入れて貰う努力もいいけど、自分と生きていく選択だってあるし。人に好かれようとか思わなければ世の中の大半の争いはなくなるんじゃないかな。

好き勝手に生きたいなら何かは捨てなければいけないのかも知れない。何の覚悟も持たず、あれも欲しいこれも欲しいは我儘ってもんですよ。人には受け入れないという権利だってあるんで。