求められるうちが

今日で5月が終わる。意識が目まぐるしく変わったからか、とても長い1か月だった。

私はこのブログを書き始めた頃にあの事件が起きていたら、犯人の境遇に同情しただろうか、ここにどんな事を書いただろうかと考えた。でも現在の意識を過去に上手く重ねられない。今はただ犯人を擁護するような人達とは絶対に相容れないだろうなと思っている。

引き取られた先で格差があったと報道されてるけど、引き取る側からすれば実子と区別するのは当たり前じゃないのか。同じように扱おうにも、暴力的な傾向にあったのが本当だとしたらあの学校には入れていないだろうし、望んで引き取ったのか仕方なく引き取ったかによっても全然変わってきますし。

とにかくどんな関係であっても、実子ではない人間をあの年齢まで面倒を見続けた人に、愛情不足だのなんだのと責め言葉を向けられる人はスゴイなって。大きく分けて、よほど金銭的に余裕があって且つ人間的に器が大きい人か、面倒を見てもらう側、つまり犯人寄りの思考を持った人のどちらかだと思うからです。思いっきり偏見だけども。

 

偶然にもあの事件が起こる数日前に、近隣トラブルを起こす人の話を聞いたばかりでした。そこは実子だけど片方の親が亡くなった後、残った方と共依存状態が続いていた時は問題なく、完全に一人になった頃から精神が怪しくなっていったのだそうだ。ちなみに膨大な遺産があるから働いたことがないらしい。

私はその話を聞いて「羨ましい(環境)よね~」と口にする人に無言で頷きながら、残酷な話だなと考えていた。多分その人は淋しいんだろうけど、閉鎖された環境にいたから他人との関わり方を知らずに生きてきたんだと推測する。それが許されていたのは皮肉なことになまじっか「お金があった」からだ。

全くお金に困らないとしたら、嫌な事から逃げたい人にとっては願ったり叶ったりだろう。しかし小市民は生きて行かなきゃならんのでとりあえず働く。わずらわしい人間関係があっても、どうにかして楽に生きられるように努力する。これまで努力をする必要がなかったから、そういうのを考えたこともなかったんじゃないだろうか。

今になって他人と関わりたくなっても、人の嫌がるような関わり方しかできないから避けられて疎まれる。問題になっている引きこもりと言われる方々自身も、おそらくこうなるのを懸念しているのだろうと予想する。私も精神的に引きこもり系だから若干気持ちはわかるけど、やっぱりそれを許せってのは甘えと取られても仕方ない部分はあるよ。

今更社会に出るのが怖い、そんなのは当たり前だ。だけど引きこもった年月が重しとなって自分へ返ってきてるだけで、社会や他人のせいじゃない。自分から心を開かん限り他人は入れないのだから、一方的に受け入れてくれることだけを望むなら”実体のない”怖さからは逃げられんよ。

 

私は個人的に、今回の事件を受けて問題提起をされている今がチャンスだと思っている。既に外国人労働者が増えていて、どこかは書かないけどある国の方はとても純粋でよく働くのだそうだ。要求に応えられる人が増え続けたら、一部の人は文字通り「必要のない人」になるんじゃないかと考えたりもします。

どうでもいい人にはどうでもいいだろうけどね。