自と他

『無敵の人』という言葉を作った人があの事件について言及していたので書き足しておく。私も無敵の人って書いたけれど、そうと決めつけたのではない。

「いつ誰が巻き込まれてもおかしくない」段階まできている、と言いたかっただけだ。驚いてショックを受けることではないのだと。ついでに危機感少なすぎ。

私はそういう事件を減らすにはどうしたらいいのかという議論は不毛だと思っている。全人類が欲を捨て、精神的な自立を果たせばこの世から争いそのものがなくなる。

でも現実的に無理でしょ?だから意味がないのだ。

アセンションについて昔こんなことを書いた。

当時は大きく分けてポジティブかネガティブかという事しか知りませんでしたが、自分を生きる人と他人を生きる人に分かれるようなのです。まさに自分軸か他人軸かという事なのでしょう。

今は自責か他責かに分かれると思っている。

自責というのは自分を責めることじゃない。言葉としてはそうなんだけどなんか違う。「私が悪いんだ。だから我慢するしかないの。オヨヨ」っつーのは結局他責なんだよ。自分さえ我慢すれば。それはもう被害者の考え方ですよ。

『無敵の人』寄りの人は「窮鼠猫を噛む」という言葉を多用しがちですが、自責で行き詰まった人が他責に走ってるんじゃないの。元々他責なの。