もしも「死にたい」と誰かに言われたとして、今の私はどう答えるだろう。私は死に特別な感情を持てなくなってしまった。「死にたい」とも「死にたくない」とも思えない。今の私のシアワセは「最悪、生きていけなくなったら死ぬ」という覚悟の上に成り立っているものだからです。
リアルでは誰にも言ったことはないが、何度か自死を考えた過去を振り返ると、どんな言葉も慰めにはならなかったと思う。「あなたを必要としている人がいる」そんなことを言われれば、私の人生は一体なんなのかと言いたくなる。誰かのために生きて誰かのために頑張らなきゃならんのかと。だから私はどんな言葉も掛けられない。
そんなことを考えたのは、久々に鬱病の彼と会ったからだ。社内で完全四面楚歌になったこと、特有の症状で取引先にまで迷惑をかけたことなど、噂は色々と聞いていたけれど、想像以上に彼の生命力は落ちていた。限りなく死に近い匂いがする。こうなる前に私は忠告したはずだ。彼はそれを無視した。
生気のない人を目の前にしても、私は変わらず元気だ。エイブラハム様は感情の22段階というものを提唱している。
1.喜び/智/溢れる活力/自由/愛/感謝 2.情熱 3.興奮/没頭/幸福感 4.ポジティブな期待/信念 5.楽観 6.希望 7.満足 8.退屈 9.悲観 10.フラストレーション/イライラ/我慢 11.圧迫感 12.落胆 13.疑念 14.心配 15.自責 16.挫折感 17.怒り 18.復讐心 19.憎しみ/激怒 20.嫉妬 21.不安(身の危険)/罪の意識/無価値 22.恐怖/悲嘆/憂鬱/絶望/無能
数字が小さいほど波動が高いってことなんですけどねぇ。私はかなり上の方にいると思うので、最下位に近い彼の波動とは全く噛み合わない。自分もそうだったように、波動が低い時に波動の高い人といると苦しくなる。逆恨みのような感情を持つこともあるので、高い方が低い方に合わせて、相手よりちょい上で接すると丁度よいみたいなことを書いている人がいた。私はしないけどな。
お昼にこんなことを書いて放置してたら、某俳優さんが自分からこの世を去った。自分の命に関して他人にとやかく言われるのは究極の不自由なのかもしれない。もしかしたら最高の波動である1を持って、逝ってしまった可能性だってあるでしょ。人の心なんて誰にもわかりゃしないのだから。
私達は本来、自由なんだよ。