対峙

先月”今年の最大開運日”に頼んだブレスレットが今週の頭に出来上がってきました。金曜日は一粒万倍日でもあり、すみずみまで太陽が照らす吉日である大明日と満月が重なっていたので、その日まで待って腕を通してみた。気分が上がる。金の暴騰を受けて金製品の値上がりが相次いでるし、タイミング的にも買ってよかったと思う。

相変わらず7のゾロ目や7に関する数字は目に飛び込んできますが、一番ピークだったのは先週だろうか。私の1台前を走る車のナンバーが7770で、なんとなく斬新に感じていた所、ふっと対向車の7777が目に入った。「今日も多いな」と思った瞬間、7777が通り過ぎていき、えぇ?となってる間にまた1台。わずか2分ほどの間に3台見るのは流石に。

あとはカラスの羽を見つけたこと。30cm弱はあろうかという大きくて黒い羽根が駐車場に落ちていた。うへー、白い羽根は縁起が良さそうだけど黒は(スピ的に)縁起悪そうじゃない?と思ってたら違った。黒い羽根は非常に縁起がいいそうで、スピリチュアルな世界の加護を受けるとか、神秘的な力が注ぎ込まれたとかなんとか。

とりわけ神の使いと呼ばれているカラスの羽は吉兆であり、潜在的な能力が開花する兆しがあるらしい。足でツンツンしたりしてすみませんでした。そういえば金曜も黒い羽根が足元に落ちてましたが、ちょっと大きな契約がとれたくらいで、個人的には特に何の変化もございません。なんなら含み損は膨れ上がる一方だしね。

 

その間も私は、エイブラハム様のいう「転換」に勤しんでいました。いい気分でいても、やっぱりイライラやムッとはすることはある。だって人間だもの。ですが、これまで数十分は引き摺っていたであろうムカつきも、転換の術が向上してきて割とすぐ切り替えられるようになりました。

ネガティブな出来事をポジティブに考えるのが苦しいのは、我慢したり感情を無理に変えようとするからだ。私は、怒りは何の得にもならないと都度思い出すことで、「あー無駄なエネルギー使うのやめよ」と気付いて冷静になります。

自分の波動が変われば周りも変わるのか問題について。その後、私と共依存者はとても仲良くなっている。先日彼女とお金の話をする機会があり、「お金は持って死ねない」と気付いたそうだ。確かにそうだけど、彼女は守銭奴の親分みたいな人だったから、目が真ん丸くなるくらい驚いた。それからお金の使い道について語り合った。こんな日が来るなんてなぁ。

盛り上がる私達の横で、自称「お金のない」人は愛想笑いをしていたが、後になって「お金のある人はいいよね」と忌々しそうに同調を求めてきた。ついでに「(備品)は買ってくれないのに」云々と愚痴も追加された。備品は会社の経費だから彼女の個人資産とは全く関係ないだろう。…そういうとこじゃないですかね。

やっぱそういうとこなんですよ。そこムカつくとこじゃないのよ。全く関係ないことまで持ち出してきて勝手にムカついて、って本当に生産性がない。SNSの批判もそうだよね、無関係の他人が何をしようとあなたの人生に何の影響もないはずなのだ。

私が一番理解できないのは不倫問題なのだけど、当然批判は女性の方が多く、された側または現在進行形の人も結構いる。現在進行形でされている側は、ある種「戒め」の意味もあって批判するのだという。結婚生活を維持するためには大きく出られないので、ここぞとばかりに「世間」を持ち出すのだ。私はこの手の人をズルいなーって思う。

結局自分は何もしない。向き合いもせず、別れも選ばず、悪者になりたくない(嫌われたくない)一心で自分を傷付けた本人はお咎めなし、無関係の他人は徹底的に追い込む。そしてそれが当たり前にまかり通るのが日本なんだよね。まかり通るというか、その異常さに気が付いてないのがヤバい。

批判される側もこの事実に早く気付いた方がいいと思う。気に病む価値もないのだと。

 

(追記)書いたあとに、この構図は自己愛のパワハラと似ているなと気付きました。直接本人に言いにくい時、他人を使って(犠牲にして)わからせようとする、あれ。