生きてる

すっかり名前が出てこなくなったIさんですが、それもそのはず、私の中からはすっかり消えてしまった。残念ながら?ツインレイではなかったんだろう。ツインレイとかいうふざけたタイトルの記事も消すべきかどうかと迷っているくらいだ。今は誰にもトキメいていない。まぁそんな年でもないんですが。

私は自分が欲しい要素を持っている人に惹かれるようで。たとえばIさんなら冷静さやある種の冷酷さといったところです。自分の中ではそれらを身に付けたつもりなので、Iさんから学ぶことがなくなってしまったのかもしれないと考えている。

他人への関心は薄くなりましたが、今のところ他人と全く関わりを断つことはできません。誰かと一緒に過ごしているときはきちんと相手を見ているし、相手が「どうなってもいい」なんて思ってない。だから相変わらず相手を褒めて、笑ってくれたらそれでいいなと思う。でも他人と長時間過ごすのは嫌だ。私はワタシと過ごしたいんだよ。

果たしてこの状態を自立というのかどうなのかはわからんけど、多分今の私といる「普通」の人は楽だと思いますよ。私は、私が考える普通の人は絶対に否定しないから。私の普通の中にはホームレスの方も含まれているので、ちょっと普通ではないかもです。なぜ普通かというと、義務を放棄すると同時に権利も放棄する生き方は、ある意味真っ当だと思うのよ。

ちなみにネカフェに住んで、都合悪くなった途端「権利」を主張するタイプの自称ホームレスは私の中ではホームレスではない。よって普通ではない。なので思いっきり否定させてもらう。ホームレスとして自立してからホームレスを名乗れ。

 

あのね、相手が誰であれ、たとえ親だって見捨てていいんですよ。冷たいと責める人もいるでしょう。「人に優しい社会を」と声高に叫ぶ人もいます。そう思うならその人達がなんとかすればいいのだ。他人の人生を背負うために生まれてきたわけじゃありませんので。

受け入れられるキャパは人によって違うんです。罪悪感を抱かせて無理強いをする人は、かなりおかしいんですよ。自分一人の面倒も見られない人が、自分自身の面倒はもちろん他人まで面倒見ろと要求するとは如何なものか。いかに支離滅裂で矛盾しまくりなことを言っているか冷静に考えよう。

その代わり、自分も他人に要求しない覚悟でね。自分は見捨てておいて、助けてもらおうってのはおかしい人なので。やはり自由に自立は欠かせないと思うな。

 

30といえば、以前の会社で「売上が上がらなければ営業所は閉鎖」という、とんでもないプレッシャーを背負わされた頃だ。自分はともかく、会社に損失を与えてはならん、顧客に迷惑を掛けるわけにはいかん、メサコン達(ちょっと就職が厳しい子達だったのでね)を路頭に迷わせるわけにはいかない。

そんなものは全部マヤカシだったよ。だって私は今ここで生きている。全部捨てても生きてるんだから。