氷点下

母は怒られたり責められるのがとても嫌いだ。なので平気で嘘を付いて他人のせいにし、そのお蔭で誰かが傷付こうと全くお構いなしである。都合の悪い事は記憶から抹消されてしまい、都合のいい記憶だけが事実として残るから本人に全く悪気はないのです。

そして基本的に他者に興味がない。旦那であろうと子供であろうと、自分に関係のないことは全然覚えていません。例えば母の世界では、会社員たるもの土日祝日が全員お休みするもの、です。シフト制で平日が休みだった頃、電話の度に「なんで日曜日なのに働いてるの?」と真剣に聞いてくる。こういうのも私は悲しかった。

出勤しかけた父は会社の近くまで来ているというのに、「ゴミを捨てていない」という電話で家に舞い戻る事がしょっちゅうありました。そして家へ帰ると母の代わりに家事をする。子供である私達が自立した後、母の面倒を見ていたのは父だけで、癇癪を起こすと面倒だからそうするしかなかったのだ。

帰ってくるように言われ、帰ると留守にしているとか、そんなのは私も当たり前に経験している。その度に怒っても諭しても、その時は反省した振りをするけど全く改善しなかった。書き出せばキリがないが、私達はこうした母の行動を嫌がらせだと考えていた。もちろんそれもありそうだけど、衝動を抑えられない事が大きいのだと思う。

自分の望みどおりに周囲が動かないと納得しない。我儘な人は概ねその傾向にあるとしても、傾向とかそんなレベルではない。一番の問題は日々、毎分毎秒の要求に応えられないと『被害者』になってしまうところだろう。要求の水準が人とは桁外れに違うので、応えられなくて当たり前なのに理解が出来ないってきついよ。

私が何を言いたいのかというと、自分の代わりに他人が動く事を本気で『普通』だと思っている人の『被害者意識』を鵜呑みにしては危険だということだ。簡単に「気持ちに寄り添えば」みたいに言って欲しくない。尽くしすぎるほど尽くしても、何一つ伝わらない人へ寄り添う事を強要しないでいただきたい。

他人の立場に立てない、感謝とかいう類の感情がないことがどういう意味を孕んでいるか。日々毎分毎秒、頭に浮かぶ全ての事が「他人のせい」と考える人間の要求に応えるのが『優しい社会』なのか。私の心の温度は氷点下まで落ち込んだよ。

 

なんとなくだけど、あの事件をきっかけに精神の二極化は更に進んだように思う。

(ちなみに母の事を書いたのは前置きとして必要だったからで、まだ拘っているわけではありません)