脱力と理解

私は自己愛からのパワハラと戦っていた時から、”いざとなれば会社を辞めればいい。でもできればここまでは頑張ろう”と決めていた日がある。奇しくも先日、共依存者とのゴタゴタの最中にその時を迎えた。

最近母のような人の持つ「何か」についてネットで調べまくった結果、それはほぼ確定で間違いないと思う。断っておきますが私は「何か」について偏見を持っているわけではありません。「何か」の中でも直接害のない人とそうでない人に分かれるからです。母のような他人巻き込み型はキツい。

私は母を演技性人格障害とかの、著しく性格に偏りがあるパーソナル障害だと思っていた。でもそうではなかった。自分に都合よく記憶が入れ替わり、あたかも事実のように振舞って他人を責める原因が記憶を司る部分に問題があるからだとしたら。幼い頃から私が我慢していることなど到底理解はできないだろう。端から不可能だったのです。

母と似た兄弟も、もしかするとそうなのかも知れない。私も「何か」の可能性はありますが、少々出方が違うように思うので別にそれはいい。家族に植え付けられた記憶に振り回されまくりの人生について、今は「ワタシ関係ないやん(呆)」という脱力感しかありません。幸せになってはいけないと思い込んでいるのは私だけだったのだ。

GWの大掃除の際、中学を卒業する時に書いてもらったサイン帳を見つけた。当時の記憶は悪い遊びが鮮明すぎて他の事は曖昧なんだけど、所謂「普通の人」からも結構な数を書いてもらっていた。一見話しかけにくいけど話してみると楽しくて面白かったという人が多い。(社交辞令も含んでいるのは承知している)

色とりどりの丁寧な字で、綺麗なイラストと共に私の良い所が沢山書いてあった。そして卒業式の日の写真は普通の人に囲まれて笑顔で映っているものも多数ありました。私は毒親育ちで素行も良くなかったけれど、普通の人に害を与えて忌み嫌われるような存在ではなかったのだ。

私は当時関わった普通の人達に家庭環境で妬みを感じた事はありません。ただ住む世界が違う人だと認識していた。どちらかと言えば邪魔になってはいけないという遠慮のようなものです。それは本当にそうなので後悔もしていないが、普通の人と関わる事を家族への裏切りだと感じる謎の忠誠心を持たなければ人生は変わっていたのかな、とは思う。

罪悪感を押し付けた当の本人は、”その時はそんな気分だっただけ”で何も覚えてないというのに。

共依存者との一件以来、私は仕事のスピードを上げている。ホントに忙しいし、定時で帰りたいから付き合ってる時間がないの。あなたが劣等感を持つのはあなたの勝手で、私は関係ないんだよ。私が気を使ってペースを落としている事も、客からの電話を遠慮がちに受ける事も、彼女には何一つ伝わっておらず何の意味もないのだから。

前から思ってたけど、そもそも他人を引き摺り下したってあなた自身がどうにかなるわけじゃないよね。あなたの問題はなくならないよね。ここでも潜在意識が関わってくる。情報を正しく捉えられず自分の都合のいい方へ記憶が自動的に改ざんされるとすれば、とても無防備な状態だろう。無意識がダイレクトに表れるということだから。

「どうして私ばっかり」が彼女達の口癖だ。大抵の場合それらは被害妄想なのですが、彼女達の居場所はそこなんだろうと思う。不快なのかも知れないけど、そこが当人の定位置であり平常運転だと考えるよりほかありません。これが私の最大限の譲歩と理解です。

 

一昨日、会社で仲良くしている人達と彼女の何が許せないのかについて話をした。仕事が出来ない(頑張らない)ことはどうでもよくて、自分を棚に上げて他人を責める所だという結論に至りました。

粗探しが得意なのでチェック機能としては優秀だと思うが、責任が絡んでくるような事は絶対にしないから活かせない。暇があれば過去の書類を穿り返して、ツッコミを入れられる被害者多数。取引先の都合で書式が変更されているなどという事は頭にも浮かばず、「間違えている」を前提にいきなり相手を批判し、それを説明するも納得がいかないご様子。

これは私の母もそうだ。だから子供の頃から母の言っていることが理解できなかった。自分が間違えているのにも関わらず、自信満々で頭ごなしに怒る事が不思議でならなかった。多くの人はこういう部分に嫌気がさすのだと思われ、彼女達が持つ劣等感はただの幻想で、双方の捉え方に大きなズレが生じている。

繰り返しますが「出来ない」ことは大した問題ではない。しかし自分の意識が生み出した問題の中にいるのだから他人はどうすることもできません。なのに私はまんまとその意識に呑みこまれていたのだと思う。絵にすると今こんな感じで、赤い星が私の意識。

f:id:okirakugokiraku:20190526105753p:plain

私の望んでいた世界は昔から既にあった。あったけど進撃の巨人みたいに高い塀の中にいたから見えなかっただけだ。『既にある』は意識の立体起動装置みたいなものかな。(ご存じない方すみません)

 

私は”優しくて明るい人、いつまでもそのままでいてね”と書かれた頃の自分に戻れるだろうか。