節度

私は実家から割と近い場所に住んでいます。長らく住民票を移していなかった私は、実家の住所で作った通帳などが多く、そちらに届いた通知は私のポストに母が入れてくれるシステムになっています。それが唯一、母の生存確認だから、今だに全ての住所変更ができないでいる。腐るとね、困るんで。

先月にはとっくに届いているはずの通知がポストに入っていない。今日、意を決して実家に行ってきました。今年の頭にティッシュ持って行った以来かな。相変わらず母は元気だった。ただ足の調子が悪く、思うように歩けないのだそうだ。決して加齢で弱っているわけではない。無駄に元気なご様子でした。有難いことではある。

「日々の買い物なら行けるよ」私だって行ける時と行けない時がある、出来る事と出来ない事がある。昔みたいに甘えて依存してこないでね。要するに節度があればいいんだよ。と前置きをした上で、母にそう伝えた。まぁね、早速パシられたわけですけども(汗。

 

会社の彼女の件ですが。私は彼女が居やすい環境を作ってきたつもりでした。だけど、「彼女は一体私のために何をしてくれたのかな」と、ふと考えてしまって。一方的に私には要求してくるけど、自分は「できない」を理由に何もしようとしない。無意識か意識的にかどうかはわからないけど、私を盾にしている。あー、母と同じ種類の人なんだなと思いました。

「できない」人ほど要求が多い。人様からの施しを当たり前だと思っている。「自己肯定感の低い人ほどプライドが高い」「自尊心の低い人ほど自己評価が高い」はあながち間違いではないんじゃないかな。本当に自己肯定感が低いなら、自尊心が低いなら、素直に感謝できるはずで、「当たり前」なんて思えないはずなのだ。そのバランスの悪さが拒否反応を起こすのだと考えています。

 

私は赤の他人を立て直そうとしている場合ではなかった。私は母に、素直に「ありがとう」と言える人になって死んで欲しいと思います。それって、心から「自分にはその価値がある」と思える人にしかできないことだったりするんだよね。難しいな。