ヒトモドキ

以前、事務の女性から自己愛からのパワハラについて相談を受けたと書いた。私はそれから彼女を観察するようになりました。

今の会社の女性社員にとって一番厄介なのは自己愛よりも共依存者の存在です。(今となってはこっちが自己愛なのかも知れないと思うけれど、便宜上このまま使います)自己愛は不在の場合も多いので接触する時間が短いのですが、共依存者は常に会社にいる。そして仕事もせず負のオーラを撒き散らす。

人格障害者の共通点でもある”構ってちゃん”要素を遺憾なく発揮して、何かしらどうでもいい事を見つけ出しては他人の手を煩わせる存在。他の女性たちはスルーできるようになりましたが、彼女だけはどうしてもそれが出来なかった。つい顔色を見て手を貸してしまうのでした。

彼女は至って普通の人で、言葉遣いも丁寧ですし今の私のように反抗もしない。本人にとっては、あくまで目上を立てるという当たり前の事をしているだけなのです。

しかし人格障害者にとっては最高の餌食になる。その性格はどちらかと言えば長所だけれど、彼らからは言いなりになる人間というカテゴリーに分類されるから。何をしても何を言ってもいいと舐められて見下される。

それを受け続けると、これまで良しとされていた自分が根底から覆され、対処のしようもないまま自己評価は無意識に下がり続ける。奴隷化まっしぐら。

なので、私が見ている時は彼女が手を貸さないように動きを制し、罪悪感を持たないようにこつこつと洗脳していった。私自身が毒親育ちであることも公言しているので、少しは説得力があったのかも知れない。

人格障害者は人間じゃない、ヒトモドキだと私は思っている。何の罪もない人がヒトモドキのせいで心を病む必要なんてないのです。

 

たまたま見つけたコメント。

自己評価の低い人はひどい仕打ちを受けても、無意識のうちに「自分にはこれくらいがちょうどいいと思ってしまっている。自己評価が低いからひどい仕打ちを受けやすくなり、ひどい仕打ちを受けると自己評価が低くなるという悪循環に陥る。

自己評価が高くなってくると、「こんな人間に用はない」とか「何様だと思っているんだ」とか思い方が変わってくる。

抜粋・省略していますがこんな感じで、なるほどと思いました。今の私の気持ちにとても近い。

以前に共依存者が変わり始めたと書きましたが、結局「被害者の自分」からは抜け出そうとしなかった。それは自己愛も同じで、居心地のいい環境から出ようとしないのは当然なのかも知れません。

それなら被害者の気分をもっと盛り上げて差し上げようと今は思っている。だって手を貸したら被害者になれないでしょう?ヒトモドキの喜びを奪ってはいけない。

そしてぼんやりと、ここは私の居場所じゃないなと考え始めています。

 

今日のダイヤモンドオンラインに”「被害者のふり」をして攻撃してくる人にはどう対処すればいいか”という記事がありました。この認知が広がれば世界は少し平和になるだろうか。