許し

父が亡くなったのは今の会社に入ってしばらく経った頃だった。入社した頃は今よりもっとアナログで、過渡期にあった当時は増え続ける受注に応えるだけで精一杯。ちょうど大きな契約を結べる所だったから自己愛がパニックになってて、社畜だった私は忌引を取るのも1日が限界でしてね。そのことをずっとずっと根に持っていた。

自己愛か共依存か、どちらかの親が亡くなった時、もしも悠長に休むようなことがあればイヤミの一つくらい言ってやろうと数か月前まで固く心に決めていたのだ。そして少し前、共依存の親が亡くなり、彼女は1週間休んでいた。休み明けに「ご迷惑お掛けしてすみません」と頭を下げる彼女に「ご愁傷さまでした」と頭を下げた後、そのことを思い出したのだった。

…すっかり忘れていた。当時の怒りを再燃させようと思っても上手くいかず、今も思い出せずにいる。仮に再燃したとしても、言ったところで何になるのか。気が晴れるなら言えばいいと思うが、気が晴れるもなにも気が滅入っていないのに。泣き寝入りという種類の諦めではなく、どう考えても怒る理由が見当たらないのでした。

私は今ここで生きている。思い出せないような怒りを無理やり掘り起こして、ゴタゴタの種を巻くのは得策じゃない。それに彼女が頭を下げたのは何故か私だけだ。真意はわからんけども彼女の誠意として受け止めて、都合よく動いてもらった方が良い。私は(株の)板を見るのに忙しい時があるんでー。そういう時はあまり話しかけないで欲しいなーなんて。

 

それはそうと、私はやたらに『補償』を叫ぶ人達にドン引きしています。わからなくもないけど「それは違うだろ」と思うことが多々ある。無駄にプライドの高い母は絶対にそんなことを言わないはずだ。今思えば、私は若かりし頃、豊かな大人に恵まれすぎたのだろう。ゆえに全ての大人に求めるものが高すぎたのかも知れない。

それが新型コロナによって、そうでもなかったことを知った。老いも若きもなんなのだと、ちょっとしたカルチャーショック的なショックを受けている。なので相対的に母の方がマトモな人になってしまったのでした。自己愛はケチだけど国に対しては何の文句も言わないし、早々に従業員用のマスクも買ってくれている。それでいいかなって思う。

新型コロナが私にもたらしたものは赦しではなく許しだった。