薄氷

私は社会の流れに疎い。16で社会に出た私はバブルの名残を知っているけれど、「あれはバブル(の名残)だったんだな」と理解したのはだいぶ後のことだった。当時はまだまだ好景気に浮かれていたからこそ、16歳という年齢でもマンションを借りて自立し、決して貧しくない暮らしができていたのだと思う。

その頃関わった大人は皆そこそこ裕福に見えた。そして若くして社会に出ている私に優しかった。お正月に客から戴ける、お年玉と称したチップに万札が加わることは珍しくなかったのだ。そんな時ソウルメイトのNさんは「今は特別な時代だからね。これを当たり前だと思っては駄目よ。」微笑みながら、でも真剣な目で必ずそう言った。

私はNさんの言葉を疑うことはなかったから、常に一歩引いて世の中を見ていた。豊かさが普通だと信じ込めなかったのは、良くも悪くもNさんのお陰である。簡単に手に入る万札を見て「私にはそれだけの価値があるからだ」とも思えなかったし、何より簡単に万札を他人に渡してしまうその行為も「当たり前」ではないのだと、漠然と頭の隅に置いていた。

実際、地方都市にバブル崩壊の波がやってきた頃、震災で止めを刺され、豊かな大人は目の前から姿を消した。顔見知りの大人が夜逃げをしたり、この世から姿を消したこともありました。それでも私は冷静だった。

私は親しくしていただいた顧客を今も鮮明に覚えている。名刺の会社名や肩書も。20年余りが経ってその会社を偶然通りかかり、広大な駐車場だった場所が太陽光パネルに埋め尽くされているのを見てなんとも言えない気持ちになったりはする。当時飛ぶ鳥を落とす勢いの会社で若くして重役の座についていたあの人は今何をしているのだろうと考えることもあります。

この世に「絶対」など最初からないのだ。

 

ちょうどその頃、大学を卒業した人達がいわゆる就職氷河期と呼ばれるようだ。その後10数年経ち、リーマンショックによって就職難民に陥った人達が新就職氷河期と呼ばれるらしい。あれから再び10数年が経つ。

ハリボテの好景気がしばらく続いていた日本は完全に舵取りを間違えたと常々考えていた。少子化の影響で売り手市場だった就活は新型コロナで一変することになったのだが、「そろそろ危ないかも知れない」と誰も教えてあげられなかったのはとても残念です。とはいえ忠告を聞き入れたとは到底思えないので結果は同じかも知れませんけど。

そんなことを知らない人達は、自分の力だけで生きていると錯覚している。自分の力だけで生きているなら景気は関係ないはずなのだけどね。周囲の人達や環境に感謝しろという意味ではなく、時代に生かされているのだと言いたいのです。今立っている足元は薄氷だ。たとえ地球の中心から続く大地に立てたとしても、地下のプレートが動くだけで簡単に崩れ去る。

「当たり前」という不確かな思い込みは怖いんだよ、本当に。