底打ち

上がり続けるという思い込みから余裕綽々で持っていた株が、あっという間に含み損まで抱えることになったトラウマから数年経っても抜け出せない。運良く含み益が出ても、持ち続ける怖さから微々たる利益で売ってしまうという癖も取れない。反対に含み損はロスカットすらできず、思考停止して見送ってしまうというトレードを繰り返している。

4月21日、私はこんなことを書いている。あれから暫くして、PTS(夜間取引)まで入れると1日で11万を超える暴落に見舞われた。久々のナイアガラ。フリーフォールのような直下型ではなく、ジェットコースターの下り坂みたいなチャートだったけれど、私はその様子を呆然と眺めていました。

売った直後に手の届かない所へ飛んでいった株、売っていれば手に入ったはずの利益は数日で合計数十万になるが、それでも落ち込むことはなかった。言い聞かせているのではなく、本当に仕方のないことだから。「たられば」を言い出すとキリがないし、自分のセンスのなさを悔やんでも時間は戻らない。それよりこれからどうするか、だ。

含み益の大半を失った株をどうするべきか。微益で売るか、待つか、それとも賭けに出るか。翌日、総悲観の相場の中、買い増しをして、そこそこ上がったところで売った。暴落による機会損失の一部は取り戻せたので良しとしよう。結局その日の利益は合計11万ちょっと。プロのトレーダーから見れば微々たる金額だけど、長らく暗闇にいた私にとっては大きな収穫だ。

「含み益がぶっ飛ぶくらいなら含み損を抱えてる方がマシ」などという考え方は理解しがたいのですが、私は本気でそう思っていた。これではハイリスク・ノーリターンなただの預金なのだけども、雁字搦めの思考から抜け出すことはとても難しい。そこからやっと抜け出せたように見える今、行動は思考によってもたらされるのだと痛感している。

好き好んで含み損を抱える人なんて、よほどの変わり者でない限り存在しないと思う。しかし客観的に見るとちゃんと私の望み通りになっているのです。いまだにロスカットはしないけれど、含み損は望んでいない。どっちにいくかわからないからナンピン覚悟で「持ち続ける」と決定している。明確な意図を持ってそうしているのです。

これまで私が思考だと思っていたものはただの理想だったんだな。空想とか妄想に現実を動かす力はない。謙虚なのか無気力なのか投げやりなのか知らんが、「どうにかしていただけないですかね」などとチラチラ潜在意識様の機嫌を窺っても絶対に汲み取ってなんかもらえない。勝つ思考を持ち続けるしか方法はないのだ。

今、株式市場はバイオバブルに湧いている。そろそろ終わりが近いような見方もあるが、私は再び浮上するのではないかと思っている。なぜかバイオ株が好きな私の含み損はコロナショック前より回復した。私の意識も底を打ったような気がしている。 いい傾向です。