呼び水

同じ会社で働く、自称「お金がない人」は、いつも「もらう側」の立場にいる、というような日記を書いたのは12月の頭だった。その人に対し、「この人は一体何をやってるんだろう」と疑問を持ち始めたのはそれから少し前になる。

私の位置からその人の行動は見えないけど音は聞こえていて、仕事中に突然バックから何かを取り出し、電卓を叩きだすことが度々あります。たまたま偶然その場に遭遇した時、バツが悪そうに「家計のやりくりを考えている」と理由を明かしてくれたので、それ以来「またか」と思いながらその音を聞き流していた。

「仕事中に一体何をやってるんだ」などと咎めるつもりは全くありません。私の頼んだ仕事をほったらかして家計のやりくりをしているならキレるかも知れませんが、私達は仕事で絡む事がほとんどないのでどうでもいい。しかし私の意識が変わってから、ずっとスルーしてきたその人の行動がとても不思議に思えてきたのです。

家でも会社でも家計の計算をしてるけど、入ってくるお金ってそんなに変わらないよねって。やりくりってなんだ?「お金がない」という割に、残業はしない(残業手当がつく)、資格も取らない(資格手当が付く)、責任を負う仕事はしたくない(給料に反映される)、もちろん会社以外からお金の入ってくる行動も何一つ起こさない。

そして友人たちの働く会社と比べて「普通の会社は~」と文句タラタラだけど、よくよく聞いてみれば有資格者だったりするから始末に負えない。たとえその会社に入ったとしても同じ扱いは受けられないと思いますよ。今の現実は無資格者の私と比べても給料の差はかなり大きいのに(これは昇給前から)。何を言っているのかさっぱりわかりません。

そして、会社でまでやりくりを考えているのだから、思考の大半を「お金がない」ことに向けているということです。思考の癖もよろしくないし、評価される仕事ぶりでないのは当然だと思う。悪いけど、その人の「お金がない」が本当なのだとしたら、私なら休みの日にバイトする。フリマアプリで不用品を売るとか方法は色々あるのに、なぜ収入を増やそうとしないのか。

この理由は108氏のチケットにありました。「台所へいって水を一杯汲んでくる」簡単なことですが、汲みに行く前にありとあらゆる場面を想定し、果たしてそれが実現可能かどうか充分に考えて検討してくださいと。「蛇口をひねって本当に水が出てくるか」とかね。私は真面目に考え、そしてまんまと108氏の思惑に引っ掛かることになる。

108氏の仰るとおり、考えている間は「水を汲みにいく」ための行動を何一つ起こせていないのだ。冷静な間は他人の行動を不思議だと感じていても、いざ自分が自分をコントロールできないほど何かを渇望した状態の時、思考に雁字搦めにされて飲み込まれる。それを去年の年末、Iさんの件で嫌というほど思い知った。良い経験にはなりましたけど笑

『思考を止める』=『今ここ』はとても理にかなっている。自分の力ではどうにもならないこと、現実的に動かしようのないことを考えるのは本当に無意味だった。ここ数日、何気なく読んだ本や記事の中で「今ここ」というフレーズをやたら目にするのでゲシュタルトが崩壊しそうな勢いなのですが、お蔭で私の中に新たな常識が生まれつつある。

「今ここ」は願望を叶えるためだけじゃない。思考を止めるのは現実逃避でもない。行動への呼び水でもあるのだと。