他人任せの代償

とてもムカついているので連投する。私はたまに長年の付き合いの知人にお願い事をすることがあります。特別優れているわけではないし時間も掛かるのですが、格安の料金でしてもらえるのでそこら辺は妥協しておりました。今回は少々の余裕もあったせいで、これまでの感謝も込めて先に多めの報酬を提示したのです。

結果は散々だった。率直に言うと「最悪」だ。なぜこんなことになったのかイマイチわからない。私は先に報酬を提示することによって最高の結果を期待していた。当然それだけの見返りがあるものだと思っていたのですが、予想を大幅に下回ることになってしまってですね。

その事については自分の中で終わっているというか、どうしようもないことだから諦めている。しかし近頃、知人は業績が芳しくないというのを知っているからか、目先の金を宛てにしたように思えて仕方がない。さっさと済ませてしまえば、その分早くお金が入るとでも思ったのかと。

これは穿った見方か、それとも違う理由でもあるんだろうか。何日もずっと考えているけど答えが出ない。今の気持ちが未来を作るのだとすれば、こんなままでは良くないとわかっていても、頭は「何故?」の答えをずっと探している。自分の心がズレてしまったからこそ出てきた思考なのも知っているのだけど。

他人任せにするってこういうことなんだ。数か月前の私ならモヤモしつつも「そういうものなのか」と相手の言い分に呑まれてしまっていたと思う。更にもっと前の私なら「いいよ~」と流せていたかも知れません。それが今はお金が惜しい。全くもって価値を感じないどころか、ドブに捨てるような気分。

知人にはどうしても納得がいかないことだけは伝えた。数日経った今日、謝罪と言い訳の連絡がありました。昔からのらりくらりと任せてきた私がまさか突っ込んでくるとは思わなかったようです。そりゃそうだ、私だって自分がこんなことを言うなんて思わなかったもの。

知人は大きなショックを受けているらしく「信じてもらえなかったことに傷付いた」とも言っていた。こっちは知人の仕事ぶりにショックを受けている立場なのに、なぜか慰めなければならない羽目になってて。信じるって何?あなたの行いで信頼が失せただけ、私はお金を払う代わりに正当な価値が欲しいだけだ。

「あなたのためを思って」うん、思った結果がこれなんだろ?結果が全てなんだよ。あなたの気持ちなんて今は関係ないよ、仮にもプロなんだろ?と言いたかったけれど、それは飲み込んだ。情に訴えかけるやり方に心が冷めきってしまって。

相手は損失と見なされる部分を払うともと言ってきたけれど、私はそんなことはどうでもいいし、提示した報酬もきっちり払うつもりです。この損失は私がこれまで「他人任せ」にしてきた代償だと思っている。そして知人への手切れ金だ。もう私は知人にお願いすることはないだろうから。

 

お金ってエネルギーだ。ありとあらゆる事に「お金」という物質は欠かせない。先ほどの日記の中で書いた、同じ会社の人をツイてる状況に持って行ける術にもお金が絡んでいるけれど、お金を払えばいいというもんじゃない。それを手に入れるためには更に時間もお金も労力も掛かっているんです。

いわばお金は私の一部だと思っている。大切な私の大切なエネルギーを軽んじる人が許せない。金の切れ目が縁の切れ目と言い、お金が悪いもののように受け取られがちですが、別にお金は悪くないでしょ。お金という物質に対する人の念が浮き彫りになるだけで。 

人とモノを自由に選べるようになる本

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今回の出来事は本当に私が抱いた過去の思考の結果だと思っている。私は自分が納得したい。誰かに流される人生はごめんだ。こんな形で親しかった人と距離が出来てしまうのは寂しくもあるけれど、変わってしまったのだから仕方ない。