人は勝手に傷付く

仕事柄なのか、私は昔からついつい物やサービスを売る人を観察する癖がある。その中でハッとするほど素晴らしい人に出会うことがたまにあります。ボタンをポチって買う方が大半になってしまった今でも、そんな方の所へ足を運んで買うようにしている。たとえ割高になっても惜しいとは思わない。

もちろんネットショップで顔が見えなくてもそういう方はいて、少し前だと”愛を表現する石”が付いたリングを買ったお店の方。直近だと小物を買ったお店の方です。完全な不良品が届いたわけですが、素直に非を認めて丁寧な謝罪をいただき、商品の交換に至るまで素晴らしい対応だった。言葉づかいや気遣いは文章にも如実に表れるので、とっかかりは良くなくても結果的に「ここで買って良かった」と思いました。

私は「この人(店)から買いたい」と思わせるのがプロだと思っている。私が帰った後もしくは連絡を終えた後、「ちっ、めんどくせー」と思われていようと一向に構わないの。見えない所でも”お客様は神様です”などと敬うような人格を求めるつもりなんてない。いかに顧客に満足感を与えられるか、それだけです。

しかし残念ながら人間はピンチの時ほど本質を隠し切れなくなって、日頃の思考が露呈してしまう。それを防ぐ方法は場数を踏むしかないんじゃないか。確かにクレームは気持ちの良いものじゃないけれど、クレームから何かを学ばなければいつまで経ってもクレームに負ける人になる。

 

知人との出来事はようやく自分の中で折り合いがついた。今回の件で色々考えさせられましたが、今日の収穫は「人は勝手に傷付く」ものだということ。知人は謝罪と言い訳の連絡をしてきたと書いたものの、割合で言うと謝罪はほぼ無いに等しかった。言い訳がほとんどで、更に自分を守る為か無意識に私を加害者側へ仕向けようとしていた。

私はもちろんお金は惜しいけれど、そのことについては触れず、ただ「仕事ぶりに満足できない」ということだけを伝えたのですが。知人はあれやこれやと「あなたのため」を強調し、自分の利益を増やすためだと思われたのはショックだと言うのです。そんなことを考えもしなかった私はびっくりしたよ。

これまでは知人の延長で「片手間でいいから」とお願いしていたのだけど、今回はプロと顧客という立場で相場より高いお金を払って仕事の依頼をしたのです。確かに片手間の時よりは遥かに早かったのはいいとして、仕上がりが片手間以下ってどういうことよ。プロなら自分の仕事ぶりにショックを受けろよ、と私は憤りを感じているのに。

それでもとにかく知人はショックを受けているんですが、そもそも私の怒りと知人のショックは無関係なのだ。やましいことでもあるのかと勘繰りたくなるくらい、斜め上の傷付き方。つまり傷付かなくていい所で勝手に自分が傷付いているのです。面白いよね。

私はもう誰の言葉にも傷付かない。誰の何の言葉を受け入れるかは自分で決めるからです。もちろん傷付くという選択もできるけれど。だから正直に言うと、知人がショックを受けたことを滑稽だと思っている。自分で勝手に傷付いておいて、しかも自分に非がありながら被害者面をしたところにドン引きだ。私は知人の何を見ていたんだろう。

知人に支払うお金は数十万になる。私にとっては大金だけど、過去の『他人任せの自分』を認識し、完全に分離するきっかけをあたえてくれたことには感謝している。それから、人間は我が身可愛さの余り勝手に傷付く時もある、と教えてくれたことにも。プロとしては最悪のやり方ですけどね(失笑)