自覚

人は、例えば「息をする」という100%当たり前であることには、夢も、希望も、感謝も、有り難みも、大切な何かも、重要性も、意味も、執着も、絶対に抱けないんだよ。そこについてはもはや完全に、満たされているからだ。

だから、完全に満たされる人生とは、夢も、希望も、感謝も、有り難みも、大切な何かも、重要性も、意味も、執着も、一切ない人生だ。完全に満たされれば、ゲームは終わる。

この方の仰ることには>人生に何も求めないってまるで仙人のよう……>そんな夢も希望ももたないとかあり得ないよ、という反応がある。当然ながら以前の私もそう思っていた。私はACを克服して普通の人になり、誰かに認められることを望んでいたんですが、今になってみると全然重要じゃなかったと思っている。

誰かに認められるために頑張ると、延々と頑張り続けなければいけないから。認められた瞬間に喜びを感じるなら、その喜びを得るために「認められない」現実を作りださねばならない。不足がなければ充足を感じられない、の意味がなんとなくわかるのです。

手に入らないと思っていたモノが手に入った時ほど嬉しいことはない。いや、入ると思っていても嬉しいかも知れないけど、渇望していた時と比べれば感動が薄れるのはしょうがない。だからやっぱり、より感動を味わうためには「手に入らないモノ」を追い続けるしかないのです。残念ながらこれは真実のようで。

先日某芸能人のお金の使い方についてのコメントに”頑張って欲しい物を買えた時の気持ちを味わえないなら人生面白くない”という感じのものがあった。こういうのを見ると、やはり物を手に入れる事より「頑張って実現すること」に価値を見出し、無意識ながらも意識的に自分で人参をぶら下げている人は多いのだと思います。

  

元ゾゾ社長のYoutubeが話題になってるっぽい。以前も書きましたが、私は勝手に氏は潜在意識を使いこなしている方だと決めつけている。というか桁外れのお金持ちは皆そうだと思っている。氏は批判に対して『お金から解放されたらいいのに』と言い放ったらしいですが、そのツイートに対しても「一番囚われているのはあなた」と更に批判は続く。

氏と氏を批判する人達は格差という意味ではなくて、生きている世界が違うんだと私は信じている。自分の世界を自分で作っている意識がある人と、勝手に現実がやってくると感じている人は絶対に相容れないだろうから。

『○○から解放されたらいいのに』これを達人さんの言葉に当てはめると、「夢から解放されたらいいのに」「希望から解放されたらいいのに」と全てに合致する。氏はおそらくお金が「ある」世界にいるから解放されているのではないか。現実的にもそうだけど、自分の中に今更「ない」世界を作りだす方が難しいんじゃないかと思うんですよ。

私は今お金を「愛している」と言い切れる。それは「お金が欲しい」って望んでいた頃とは全然違う感覚で、お金があればあんなものが買えるとか、お金があればこんなことが出来るとか、そういうことじゃない。お金という『存在』を愛していると言えばわかりやすいのかな。

それから”頑張って欲しい物を買えた時の気持ちを味わえないなら人生面白くない”なんて思わない。そこに面白さなんて感じない。頑張って手に入れた感動はなくても、欲しい物が当たり前に手に入る喜びってあると思うの。多分、多分だけど「ある世界」って>人生に何も求めないってまるで仙人のよう>そんな夢も希望ももたない、そんな世界じゃないような気がするんだよ。

もちろん求めたいなら求めればいいし、夢や希望を思う存分追いかければいいし、頑張ったことに意味を感じたいならそうすればいいよね。ただし「自分の意思で選んでいる」という自覚があればの話。自分で選んでるなら、手に入らない苦しさもまた喜びだったりするんだろうから。

 

そういえば、堀江氏も『堀江貴文さんが語る「みんな『お金』のことを勘違いしていないか?」』記事の中で前沢氏と同じことを言っている。自由だなぁ。