ゲーム

私が共依存者に物申す原因となった出来事は、私が行うことで解決したはずだったですが。にも拘わらず、彼女は手を出して来ようとする。人の話を聞いていないのか、鳥頭なのかは知らないけど、一同ドン引きである。あの、他人を責め立てた剣幕は一体なんだったのか(呆)

彼女と私の母は似ていると以前に書きましたが、本当に他人を苛つかせる能力だけには長けている。彼女も何かにつけ「させられた」という意識が強く、文句や言い訳は人万倍多い。しかも”誰でも出来ること”がほとんどであるのに。

その割には、しなくてよくなった途端に”なぜか”積極的になる。こうした行動についての皆の意見は「頭がおかしい」か「嫌がらせ」かの二手に分かれているが、どっちにせよ誰にとっても意味のない行為である。現に肯定的に捉える人はいないので、本人にとってもメリットはないはずなのですけど。

理解の範疇を超えすぎて到底彼女の心境を理解できないけれど、今の状況で全てが上手くいく方法があるとしたら。たった一つ、彼女が「何もしないこと」である。

彼女は「何もしたくない」というのが本音であり望みなのです。そして「何もしてほしくない」のが皆の望みでもある。動けばミスや厄介事を起こした挙句、被害者面されるくらいなら、開き直ってPCでゲームでもしておいてくれた方がいいというのが本音です。

こんなにもぴったりと意見が合致しているというのに、なぜ彼女は余計なことをするのか。「したくない」ことから解放されたはずなのに、再び「させられている」環境へと自ら動くとはどういうことなのか。彼女は「叶った世界」から「叶わない世界」へ移動しているのです。

 

私は少し前から潜在意識の過去スレを読み漁っている。掲示板だからレスは一般の方なのですが、ある方の『あなた方は(中略)「常に願望を叶え続けたい」んだ。』という言葉がずっと引っかかっていました。

私達は、常に得られない「大事な何か」があるから、人生に意味や希望を見出している。その最大の目標が完全に叶ってしまったら、それが当たり前になり関心がなくなる。そうなるのが怖いから自ら目の前に人参をぶら下げているのだ、と。かなり端折っていますが、こういう事を仰っている。

つまり、彼女は「したくないけどしなければいけない」世界へ居続けなければならない理由がある。そうして「したくない」と言い続けるのだ。彼女が意味のない努力(とは言えないけど)をせず「私は楽だから幸せ♪」と笑い飛ばしてくれたら、この小さな世界は平和なのに。誰も不幸にせず皆が幸せになれるのに。

そしてこれは私自身にも言える。「ないない」と必死に追い求める事を善しとし、常に何かを思考し続けなければ手に入らないと思い込んできた。というより何かをせずにはいられなかったのです。完全に受け入れ拒否である。

先に書いた方のお話はもっともっと深いのですが、これは「自作自演の願望実現ゲーム」だともあり、私はやっと何かが繋がった気がした。私は望みを叶えようと頑張る現実こそを望んでいたのだと。