都合の良い生き物

友達(みたいな女性)が言ってくれた「(私)ちゃん?かわいそうじゃないでしょ?」という言葉は私の過去を崩壊させた。同時に自分の愚かさを思い知らされた。私は「かわいそうな人」に対して、同情や共感という接し方しかできなかったからだ。でもそれは必ずしも相手のためになるとは限らないんだなって。今更すぎるけど。

先日そんな私に神のお試しがきて、離婚歴のある女性から過去を打ち明けられました。彼女の話が本当だとすれば、(人様の元ダンナに申し訳ないけど)職業だけは立派なクズの代表格ともいうべき男であった。彼女はそれがトラウマとなり、男性不信を通り過ぎて人間不信に陥っているのだという。…安易に結婚に逃げちゃダメだったよね。

だとしても私は彼女自身も彼女の人生も否定はしません。しかし以前ならともかく、今の私と彼女の波動は全く共鳴しないのである。同じ経験はなくても辛い過去を持つ者として、私が過去を打ち明ければ彼女は楽になるのだろうか。「辛いのは私だけじゃない」そう思わせることは、果たして私達を幸せにするのだろうか。

彼女はどうかしらんが、少なくとも私は幸せにはなりません。「ふーん。なるほど」などと適当に相槌を打ったあと、「世の中はそんな男性ばかりじゃないですよ」とだけ言っておきました。人を信じるも信じないも彼女の自由である。それに人を信じられないことが不幸ってわけでもないし。なにより彼女はいま学んでいるのですから。

人生は選択の連続だ。言葉一つで人生は簡単に変わってしまう。誰とどんなふうに関わり、人生を作っていくのか、私たちは常に選択を求められている(怖

 

話は変わりますが、今日突然「友達(みたいな女性)と年内にもう一回ご飯行きたいな~」なんて思って。とはいっても彼女は年末年始を離島で迎える予定だから無理なんですけど。ところが夕方彼女から連絡がきて、ご飯のお誘いを受けました。なんでもGOTOがなくなったので旅行をキャンセルしたらしい。

こういうのってシンクロとか引き寄せとかって言うこともできるんだけど、特に思い入れがない人には何の感情も湧かないもんでね。私は彼女と会うのを渇望してたわけじゃないから、別に行けなくても全然構わないのである。もちろん嬉しいけど感動とかはない。単に政府の愚策でこんな結果になってしまっただけといえばそれまでの話で。

でも、もしこれが渇望していた相手だとしたら、途端に『願望実現』になっちゃうのよね。神や仏や、信仰してないキリストにまで感謝したくなるんだよ、きっと。場合によっては、それを運命なんて呼ぶこともある。実際は現実に付加価値を後付けしてるだけなんだけどさ。ヒトって実に都合の良い生き物だよな。

事実は直接、人には影響を与えません。事実はその人の解釈を通じて、その人に影響を与えます。(加藤諦三

以上、今日の気づきでした。