怒りを感じ切る

先週の金曜日に日記を書いた後、センスを褒められたという出来事から、私はACの元友人を思い出していた。彼女と一緒にいた時間を振り返れば、楽しい思い出よりも彼女から心無い言葉を投げられた記憶の方が遥かに多い。それらは当たり前に私の服装までに及んでいた。

彼女は普通の女の子としての身だしなみ程度のお洒落も、母親から否定されて生きてきた。そのせいか身なりにはとても無頓着と言うか、少し常識を疑われるような服装をする時もありました。その割にと言えば言葉は悪いが、彼女は他人の前でも私の服装にケチをつけて嘲笑うことがしばしばあり、私が褒められようものなら烈火のごとく怒り出した。

私は家庭環境も知っているし、何より彼女のコンプレックスの裏返しであるのが痛いほどわかるので、理不尽だと思いつつ私は何も言い返す事が出来ませんでした。いつか大人の女性として常識を疑われない程度には変わってくれる、その頃には今の刺々しい感情も無くなるだろうと思っていた。

そもそも私と彼女が近付いた理由は、ひとえに私のお節介である。かろうじて上辺を取り繕える私に対して彼女は周囲から浮いた存在で、母と同じ匂いのする彼女を放っておけなかった。しかし私は決して彼女を救いたかったわけではなくて、母と似た彼女の存在が怖かったのだ。

その時は彼女が母親の呪縛から解き放たれ、自分の意思で選択できるように願い、同時に私自身もそうなれればいいと本気で考えていた。だけど最終的に彼女はそこへ留まる方を選んだので私は彼女を置いて行った。

私は服装についても何度かさり気なく苦言を呈したが、結局彼女のそれは変わることがなく、距離を置かれたと感じて慌ててアドバイスを求めてきたものの、もう私にはそんな力は残っていませんでした。彼女は本当に変わりたかったんじゃなくて「捨てられる」のが怖かっただけだから。

金曜日の朝、”本心であれ過去のトラウマであれ、彼女が突き刺した心無い言葉たちは、私にまだ残っている”とはっきりわかった。別に彼女のせいにしているのではありません。しかし不愉快だと思いつつそれらを受け流し、自覚なく「自分さえ我慢すれば」という、わけのわからない正義感のような感情を抱いていた自分に苛立っていたのです。

今の私だったら周囲から浮いた彼女を見てどう思うだろう、どうしているだろう?彼女の方に原因があるのが明白だから、多分何もしない。仮にお近づきになる羽目になっても彼女の言葉に反論し、故意に周囲を巻き込んで彼女に恥をかかせていたかも知れない。

とそんなことを考えていた矢先に「かわいそうな子」扱いをされたわけです。知人の環境も不運と言えば不運なのかも知れませんが、全く関係のない私を持ち出されても困る。私は他人の劣等感を癒すために生きているのではないよ。自分の劣等感は自分でなんとかしろ。

昨日、知人から電話がありました。金曜日の内容には触れず「時間つくってくれてありがとう」と内容で、そのあと下らない話で盛り上がりました。私は彼女の中にあんな感情があった事については、もう何も思っていない。他人がどう思おうと私には関係ありませんし、口に出した時にはきっぱりと跳ね返せばいいのだと学んだからです。

過去は戻ってこないけど、私はあの時の自分を超えたんだと思いました。このタイミングでこのチャンスをくれた知人には本当に感謝しています。

 

過去、下らない情けを掛けて言い返すこともできなかった自分に対する後悔と怒りはまだ治まっていない。よせては返す波のように消えたかと思えば再び湧いてくる。ただ、それが過去のもので現在とは無関係だという認識があるので、今の気分が下がったりすることはありません。この点は今までにない現象です。

過去の怒りをそのままにしておかず、感じ切ることはとても大切だと考えているので、その内収まるところへ収まるだろうと怒りを放置しています。私のこの心境の変化は自己肯定感が上がった証拠であり、良い傾向だと思うから。