疑惑

昨日は散々な1日だった。先週共依存者に引っ掻き回された仕事は、最初からケチがついたからかことごとくスムーズに進まない。たった一つの仕事を受けるだけでこんなにもやり直しをしなければならないって私は記憶にない。少なくても今の会社では経験がないはずだ。いやそれとも私の耐性が鈍くなったんだろうか。

それでも事の発端となった本人はちっとも悪びれず他人事なのがムカつく。母のような人種のムカつく所はこういう所だ。起こさなくてもいいトラブルを起こしておいて、終息までは知らん顔をしている。そして最後に「大変だったね」とこれまた他人事のように上から目線で労いの言葉を出したりするもんだからたまったものではない。

私はずっと「人として」どうなのか、なぜそんな風に平然と言えるのかと悔しさや落胆や怒りがないまぜになったまま、汚れた部屋で酒を煽ってやり過ごしてきた。私がずっと疑ってきたこと、自分に都合よく物事を忘れたり記憶が入れ替わっていたりするのが性格ではなくもっと違う何かだとしたら。

決めつけてはいけない、でもそうだとすれば全て辻褄が合う。本人の中では事実だから嘘を付いているようには見えないのも無理はない。「考えすぎ」「(私)さんが悪く捉えてるだけ」と私の方が悪者にされた過去が蘇って体が震える。今は渦中にいますが、私自身の被害は昔に比べればかなり減っている。しかし周囲に被害を受けている人は多い。

自分が言い出しておいて、言うとおりにすれば怒られ、本人はそしらぬ顔をしている。私は自分のことにかまけて見えなかったのですが、私が母からされてきた事が今も私の周りでは起こっていた。私はどうするべきだろう。性格ではないなら本人を変える事はできないから、被害を最小限にくいとめるしかない。

 

私はずっと彼女たちは故意にしているのだと思っていたから、どちらかと言えば怒りより「 頑張ったのに認めてもらえない」悲しさの方が大きかった。私が未だにその気持ちを持ち続けていたとしてもそれは一生叶わなかったと思う。人を認めないとか認めるとかそういう次元にいない人達だからです。

やっと繋がった。そしてそれは彼女達だけではなく、性格の偏りを持つ人にもいえる。諦めだろうか手放しだろうか、まだそれはわからないけど、とにかく感謝とかいう類の感情を期待することが最初から間違っていたのだと思う(今更)

私は一昨日、共依存への怒りをどう昇華すればいいかとずっと考えていた。潜在意識的には(思考の中で)自分の世界に入れない、排除する方法があるらしいのですが、なかなか上手くいかない。昨日も考えないようにしようとすればするほど記憶は鮮明になり、トラブルが発生する度に嫌でも彼女を意識してしまう。

今、私は彼女が自分の意思でそうなっていないとしても彼女を許すことはできないと思っています。理解しようとも思わないしするつもりもありません。家族でも嫌なのに、野放しにしてきた他人のツケを払わされるなどまっぴらごめんだ。

そんなことより彼女達の望むように全力を尽くしたとしても、記憶が簡単にすり替わる故それらは何の意味もなく、覚えていないばかりか悪く変換されている可能性の方が高いというのに、気付かなかった自分に凄まじい怒りが湧いてくる。

なぜ私が彼女達の劣等感を刺激しないように我慢しなければいけなかったのか。なぜ自分の人生を諦めなければならなかったのか。自分の責任だけどね。