幸せ要素

先週の金曜日、一緒にご飯を食べたお客さんは『コロナで人生観が変わった』内の一人であった。堅い職業ゆえか、私と違って考え方もマトモなのであろう。これまでは先の事を考えてなるべくお金を使わず、一生懸命貯金をしてきたそうだ。

だけど「コロナでいつ死ぬかわからない」→「やりたいことをやっておかないと」と考えるようになったらしい。それもあって衝動的に私を誘ったと言っていた。いつも口だけで終わってしまうからか、「後悔したくないと思った」とも。こちらこそ、お誘いいただきありがとうございました。

素晴らしいですね。きっとアセンションする側の人なんだろうな、と思いました。スピリチュアルに興味がなくても、ちゃんと目覚める人は目覚めているのだ。なんか嬉しかったです。

それはそうと。お客さんの家族関係の話(毒とかでは全然ない)を聞いた私はつい「家族も他人ですからね」なんて言っちゃったもんだから、「どうしてそんなにネガティブなの?」と笑われました。多分ドン引きしてた(笑。「自分以外は他人」と言うと、なんとなく理解したような雰囲気を醸し出してくれましたがどうかな。まぁいいや。

自分以外の人と分かり合うって難しい。「分かり合えない」って言い切りたいくらい。でも私はポジティブだと思ってるけどな。分かり合えないことを前提に物事を進めないと、自分の人生生きられないじゃん。分かり合うことが不可能な人を相手に「わかってくれない」って嘆くほうが、よっぽどネガティブじゃない?もちろん自論ですけども。

ただ、「そうか。言葉だけを聞くとネガティブに捉えられるかもしれないから、以後気をつけないとな」とは思いました。うーん。そうなると『他人は私を幸せにすることはできないし、私も他人を幸せにすることはできない』もネガティブに受け取られる可能性もあるのかと思ってメリットを考えました。

『自分で自分を幸せにする』

まず、自分で自分を幸せにできるからといって、他人から受ける好意や愛情などの『幸せ要素』なんていらないぞ!ということではありません。それは捻くれてるだけです。あればあるほどいいに決まってる。”嬉しい、楽しい、大好き”になるんじゃないだろうか。しかしながら基本一人でも「幸せ」であれば、最悪の場合それらがなくても楽しく生きていけます。

いってみれば「目減りしない財産を持っている」のと同じなのですよ。目減りしない財産があっても働いたっていいじゃないですか。お給料貰えれば嬉しいじゃないですか、多分。だけどなくなったっていい。つまり、不安がないってことですね。ですから自然体で自由に生きられるわけです。自分が自由に生きれば他人も自由にしてあげられるんじゃないかしら。

どこがネガティブなのか。愛しかなくない?