真理

ザ・シークレットの中にはビジョンボードなるものが登場します。潜在意識系では有名なのでDVDを観る前から知っておりますが、元ネタはシークレットなのかも知れない。ビジョンボートとは夢や願望の画像またはイラストなどをボードに貼り眺めることで、視覚から潜在意識に刷り込むためのアイテム。

私はIさんに初めて会った翌日から、ビジョンボードもどきの物を作っている。Iさんに出会って数か月は異性として認識もしておらず、特に何の感情も持っていなかったのに本当に不思議だ(嬉)。話がそれましたが、私は印刷するのが面倒なのと死んだ時に見られると恥ずかしいという理由からPCの中でエクセルに貼りつけてみた。

しかし念の為にロックも掛けている上、わざわざ毎日開いて見たりしないので、これではあまり効果がないように思う。実際、貼りつけた願望は叶っていない事の方が多いし、それらを見て「まだ叶わない」とネガティブな感情を持つだけだった。ここにも問題があって、叶った前提で見ないと意味がないらしい。

 

私は無駄に男好きする顔のせいで自分の顔が好きじゃない、と昔に書いたと思う。特に理由はなくても綺麗になりたい、だけどこの顔のせいで精神的に受けたダメージの方が大きいものだから綺麗になるのも怖いというジレンマを抱えていた。顔にこだわる年齢ではないと思われようと、他人の目に怯えて失ったものを取り返したかったのです。

先月の中旬から、我ながら自信に満ち溢れた顔をしてると感じていたのですが、どうやら他人から見ても変化が起きたようで。まず取引先の女性から「(私)さん、相変わらずお美しい」と褒め讃えられた。しかし私は彼女の口からそんな言葉を聞いたことがないので、「相変わらず」はいつどの段階からやってきたのか、ずっと彼女の頭の中にあったのか。それが謎である。

それから、もう何年も通っているお食事処へ行った際、店主に私だと認識されなかった件。いつものように「いらっしゃい」と声を掛けられ席についたのですが、スタッフさんが私に話しかけたのを見て、二度見した後「誰かわからなかった」と呟いたのでした。ちなみにここへは先月の末にも行って長々と世間話をしている。髪型・化粧・服装は変えていない。

そして冒頭で書いたビジョンボードもどきには、ある女性芸能人の画像を貼っている。個人的にビジュアルも生き方も大好きなので、憧れを持つなど烏滸がましいと思いつつも貼らずにはいられなかった。顔についての変化のとどめは、この芸能人に似ていると言われたことだろう。思わずどこが似ているか食い気味に問い詰めたが「どこかわからない。…印象?」と言われたのは納得できないけども。

1か月も経たない内に他人から見た外見の認識が変わるなど在り得るのか。答えは在り得るんだろう。在り得るけれど、絶対に変われない原因もあると思う。私の場合はやはり「怖さ」だ。もし変わったと仮定して、簡単に幸せなイメージを持てる人は比較的変わりやすいんだろうと考えている。

こうしたことから周りにネガティブな人を置くのはよろしくないとつくづく感じる。いたとしても自分が気にしなければ、ネガティブな存在を認めてないのと同じなので、それがベストだろう。もっと言えば別にネガでもいいけど、「他人の幸せは自分の不幸」と考える人は本当によろしくない。色々飛ばしてくるもんだから、何らかの対策を取らなければならないだけでも実質的被害を被っている。

例えば、自分が不幸だと感じているのに、わざわざ幸せそうな人のブログを見にいって自分の不幸を再確認するなんてのは、冷静に考えるとおかしな話だよ。自分から不幸になりに行ってるようなもんだ。「常に不幸を感じていたい」それ以外の理由が見つからない。

 

先月起きた共依存者とのゴタゴタ、そしてあの事件は私の意識を大きく変えた。

他人から出る口先だけの「幸せになりたい」を私は二度と信じない。もちろん自分自身から出た言葉も。『他人の不幸を願う=自分の不幸を願う』は真理なのだと思う。かといって私は不幸になりたい人の幸せなんて願う気はないよ。不幸がお望みなのだから好きにすればいい。

私は自分がどんな状況にあっても、真に「幸せになりたい」と願う人の足を引っ張るような思考を持たない人でありたいと願うのみです。