矛盾

今年に入ってからだろうか、自分とは無縁だった世界の人の話を聞くことがとても増えた。いわゆる優秀な人、例えば一流と言われる大学の人やテレビでしか見た事のないような職業の人達だ。もちろん直接ではなくて、その関係者の人からですが。

自分が勉強に興味がないので凄さがわからないゆえ、これまで無駄に持ち上げる事もなく生きてきた。だけど色んな話を聞くと、「なんだか凄いな(理解できなさすぎて安直)」と思う。本人は好きでやってるのだから努力ではないらしいのですが、私からすれば努力以外の何物でもないよ。

綺麗事かも知れませんが、格差を叫んでいる人は一見「幸せそうに見える」人達の努力を考えたことはあるのだろうか。当然ベースからして違うから、そこを言い出せばキリがないけど、何もせずに幸せになってるんじゃないという理解は多少必要なのではないかと思う。

格差を叫んでいる人達が努力してないと言うつもりはない、優秀な人だけが生きていればいいとも思わない。ただ、仮に家庭環境が良かったとしても自分が優秀になっていたかは疑問だし、そんな保障ないよね?と自分でも思う。たられば、に執着しても何の意味もなくて、現実には今の自分で生きるしかできないわけで。

格差を叫ぶ人が「幸せそう」と呪う人達が、直接的にあなたを不幸にしているわけじゃないだろ。あなたが勝手に不幸を感じているのだ。無関係の他人を恨むのは全くもってお門違い。なぜその思考を誰も突っ込まないのか。

やけに手厚い社会保障を望むが、そのカネはどこから湧いてくると考えているのか。彼らのいうエリートは馬鹿高い税金を納めているはずですがね。財源の出何処を逆恨みして、抹消してやろうという考え方は矛盾してないか?

私には格差を叫ぶ人の方だけが一方的に理解を求めているだけのように見える。優れているとか劣っているとかの問題ではない。他人と較べて自分の境遇を呪っていても絶対に格差は縮まない。呪わなくても縮まないけど、その思考を変えない限り、どんな状態になっても不満はなくならないよ。

『富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる』

これを公平と書いたのは、貧富関係なく「持っているものが増幅されるだけ」という意味でした。後日、持論を詳しく書くつもりだったのが、こんな事件が起きてしまったから中途半端に終わってしまった。私はますますこの言葉を身に染みて感じていて、今は心の問題なのだと強く思っている。

 

心が『貧しい者はますます貧しくなる』だけでなく、他人からも奪おうとする。

訂正しておきます。