「愛されない」という悩み

「愛されたいけど愛されない」という悩みは人間の一生のテーマなのかも知れません。特に心を病んでいなくても、この思いを持つ人は多いように思う。事実、潜在意識系でもこの類のスレッドが最も多いのですが、私はずっと疑問に感じていたことがあります。

「どうして私は誰からも愛されないのか」と悩んでいるというよりキレ気味の方たちの存在だ。あれやこれやと愛されない原因をあげつらい、そして最後は「誰からも愛されていない自分が嫌いだ」という所に落ち着くパターン。いやいや自分の事好きすぎるでしょ?と思ってしまうのだ。

あれやこれやと自分に問題がある事に気付いていながら、それも全部受け入れて愛して欲しいと願える事自体、自分の中では価値が高いと思っている証拠ではないかと考えるからです。「愛されて当然」という意識が無意識の中にあるからこそ、そういった悩みが起こるのではないだろうか。

自分には愛される価値があると知っているように思えて仕方がないのです。しかし口から出てくる(自分が認識している)のは「自分には価値がない」といったような言葉である。今考えればこれも顕在意識と潜在意識が一致していないから起こることなのだと思う。

ネットの中の人はわからないけども、私が関わってきたある種の人達はこうした矛盾に満ちている。さも自信ありげに尊大に振舞っているものの、自信のなさの裏返しだったり、自己肯定感が高いかと思いきや実は卑下していたりと、とにかく忙しい。そしてこれが愛されない一番の原因ではないかと考えたりします。

先日共依存者の醜態を見ていて感じたことなのですが、もう私達は彼女に何も求めていない。彼女は異常にキャパが少なすぎる故、誰も彼女に仕事の成果を出して欲しいとは望んでいないのだ。そして彼女も仕事をしたくないのだから、ここは意見が一致しているのです。

双方の意見が一致しているということは、私達は彼女のありのままを受け入れているということでもある。「そのままでいい」と発信しているのに、彼女は何が気に入らないのか。したくない事を求められれば確実にキレる癖に、頼りにされたいとはこれ如何に。

つまり、ありのままを受け入れていないのは自分だけという事です。彼女が嫌われる原因はここにある。彼女が自分を受け入れられないのは誰のせいでもないし、理想の自分がいる世界を他人が造ることはできない。自分の世界を造れるのも自分だけなのだから。

今の環境で彼女が幸せになる方法は『諦めること』だと思う。本人なりに努力はしているのかも知れないが、もう限界なのだと知るべきだ。いや、努力をしているというのは一応の社交辞令で、努力は見受けられないのだから努力しているフリをするのはやめろ。そうすれば少なくとも今のように嫌われることはなかったはずだ。

彼女は『自分を愛せないと他人からも愛されない』と思われがちな典型的な例だ。しかし自分を愛せないと嘆く人は、本当は自分を愛しすぎているのかも知れない。「自分を愛せないから愛せるようになりたい」ではなく、自分だけを愛しているという事実を直視した方がいいのではないか。

本当は自分が可愛くて仕方がない、自分さえ良ければそれでいいという傲慢さを持っていることを受け入れてみたらどうかと思う。自戒を込めて。