ボーダーライン

会社を辞める覚悟は出来ていますが、先の事は何も考えていない。だけど日に日に嫌悪感だけが募っていく。もう顔を見るのも嫌だし同じ空気を吸いたくない。昔の恋人なら「もうダメだね」と言うであろう限界のサインだ。

それでも表面的にはとても上手くいっているように見えると思う。相変わらず些細な事は色々あるのだけど以前みたいに腹が立たなくなった。呆れて乾いているものの常に笑顔を保つことだってできる。許しではなくて諦めの境地。

ちなみに私は今、血縁などというものに何の意味も感じていない。私は産みの母の腹を借りてこの世に生を受けただけで、それ以上のものは何もないと思っています。だから恨みの気持ちもありません。強いて言えば、私がもっと早く心から見捨てていれば良かったという後悔は少しある。私は優しすぎたんだ。

心のウェイトは急速に「普通の人」へと傾き、穏やかな日々を過ごしている。毒親を持つ方には、自らの不幸を願うなどという馬鹿げた思いはさっさと捨てて普通の人に生まれ変わり、普通の人と過ごして欲しいと願っています。暗い世界で光を求めるよりも明るい世界へ行けばいい。

私は営業のくせに、彼らの目を恐れて顧客からの電話を取るのに躊躇していた。彼らより目立ってはいけない、彼らの前で楽しそうにしてはいけない。彼ら(彼女だったかも)の目を怖がる自分を超えられないと書いてからも、しばらく葛藤は続きました。

本当にあっち側に行ってもいいのだろうか、取り返しのつかない事にならないだろうか。頭と心は既にあっち側にありながら、変わりたくない潜在意識が袖を引っ張っていた。それは残像のようなものです。怖さなどないとわかっていても思考の癖がそれを許さない。

ボーダーラインをいつ超えたかはわからないのですが、今の所は表立って何も起こっていません。表立ってというのは自己愛のストレスゲージが溜まっていくのが見えているからです。それが満タンになれば爆発するいつものパターンになるだろうと予想している。

でもね。爆発した所であなたは何も変わらないの。好かれることもなければ、屈託のない笑顔を向けられることもないの。発したものが返ってくるのだから、それは受け入れるしかないのだよ。到底受け入れられないだろうけど、受け入れなくたって誰も困らんよ。安い満足感で自分を納得させてればよろしい。

元メンヘラの私は一応彼らの気持ちはわかる。どうして欲しいのかも、どうすれば傷付くのかもわかるつもりではいる。でも絶対に望むものはあげないよ。欲しいものは努力して手に入れるのが当たり前でしょ?

昔、社長にパワハラを受けた事を最初の方で書いた。のちに「嫉妬していた」と言った彼女は一度、顧客の前で「どうして(私)さんなの?どうして私じゃ駄目なの?」と泣いたことがあります。私はその時、心が痛かったから見なかったフリをした。そして、とても嫌いだったけど彼女の名誉のために書かなかった。

今なら私は笑ってしまうかも知れない。どうしてもこうしてもないよ。情けを売り物にした時点で既に負けてるだろ。この事はなんとなく晒してはいけないような気がしていた自分はやはり優しかったのだと思う。もう戻れないけど。