恨みについて

私はもう自己愛達と家族を重ねることはなくなった。家族の事を思い出しても心が揺らぐことはない。それに伴い毒親関連の記事を見るのも随分と減りましたが、先週少し気になる見出しがあり、ちょっと覗いてみました。

それは某大物女性歌手についての2年前の記事でした。ざっくりですが彼女の大好きだった病気の父親を捨てて、男に依存していた母親との確執が今も彼女を苦しめているという。彼女は更年期障害をきっかけとし、過去のトラウマに襲われてうつ病を発症したそうです。

40代後半でACを自覚するのはかなりきついと思われる。母親を恨んでいるという意識はあっても、そこまでのものとは思っていなかったんだろう。癌を患った母親と最後の数か月を一緒に過ごし、わだかまりは解けたかに思えたそうなのですが、なぜ彼女は立っていられないほどの体調不良を抱えたままなのか。

その原因は後悔だ。母親の遺品整理の際、彼女が出演していた大量のビデオや切り抜きなどがあったこと、仕送りには全く手が付けられていなかったことから、「誰よりも自分を応援してくれていたのは母親だった」と気付き、恨み続けてきた数十年に対して自分を責めているからです。

毒親に関しては恨むも地獄、愛されるも地獄だと思う。愛されていた事実を知ることで、母親を恨んできたはずの期間が自分への恨みとなって返ってきたということなんだろう。2年が過ぎているので今現在はどうかわかりませんが、救われない話だなと思いました。

反面、仕送りに関してはともかくとして、誰よりも一番はどうか?実力派シンガーである彼女なら熱狂的なファンがいてもおかしくない。誰かと比較して一番である証拠などどこにもないではないかと考えてしまった。しかし、彼女が事実だと認識した時点でそれは事実になる。例えそれがまがい物であっても。

私は別に親子愛に水を差したいわけではありません。他人を恨むのも覚悟がいるなぁと思っただけです。相手が誰であれ、恨んだ自分や時間を悔いて心を患うのは嫌だ。許せなかった自分を許せなくなるなど本末転倒もいいところである。それならいっそ恨んだままの方が良かったんだろうか、とか。

恨んでいるのではなく、「愛されている」という実感が欲しかったんだと認めることができていれば、何かが変わっていたのかな。答えは自分の中にしかありませんが、とにかく『恨む』ことにメリットはないなと感じました。