今幸せ

思考の流れが速い上に、過去と現在の境目をフラフラしているので書いていることに矛盾があると思うのだけど自分の中では全部繋がっている。時系列もおかしいのですが、潜在意識に対するここ最近の思考の変化を書いておきます。

習い事に通い始めて3か月程度は、とにかく何かに突き動かされるように生きていて、自分で選択したというよりそうせざるを得なかったという状況でした。それから徐々にあらゆる事に熱が冷め、再び満たされた廃人になった。

もしかするとただの廃人だったかも知れません。一時期、ほぼ毎日のように届いていたお買い物の箱がいつしか当たり前になって喜びが薄れたように、私の欲求はただの刺激だと思い知ったからです。私は何かが欲しいわけじゃない、得た瞬間の喜びだけを欲しがっている。

だから私は手に入れたいけど手にしたら終わってしまうそれらを、必死で手に入れないように頑張っていたのです。だからといってあっさり手に入るかどうかはまた別の話なのですが。理解が深くなるにつれ、虚しさは増してゆく。望むのも望みを捨てるのも苦しいし、望みのない人生をどう生きればいいんだろうって思いました。

その反面、私はIさんに愛されているという頭のおかしい自信を持ち始めた。その割に現実の彼に対する反応は比較的薄くなり、最近習い事の帰りにIさんらしき人を見かけたけどスルーして通り過ぎた程度には重要度が下がっているらしい。これは確か潜在意識の達人さんで復縁された方も似たような経験をされていた。

まさか自分がこんなことになるとは思いませんでしたが、Iさんの彼女として生きる「なりきり」とかではない。説明し難いのだけど、彼と同じ人が脳内に住んでいるような感じ。とはいえ妄想とかはなくて、ただ愛されていると感じるだけです。気持ち悪いのは十二分に承知しているので暴走したりはしてません。

それから昨日書いたように過去への怒りが出てきたりしてますが、「今幸せになる」という感覚がわかるようになった。意図したわけではないけど、誰かに愛されるという妄想も自愛の一種だそうでこれが良かったのだろうか。(妄想が現実にならない!と現実化を望むようなら逆効果だと思われますが)

私が何かを望む時、幸せになりたいという意識がありました。あれさえあれば幸せ、あれがないから不幸だと決めつけていた。でも今は幸せの反対は不幸だとは思わない。あくまで「幸せではない状態」であり、幸せではない状態と不幸は似て非なるものだと考えている。

幸せとは心の状態を指します。私は昨日彼女と話したことを思い返してみました。彼女はたまに自分の運のなさを嘆く時がある。私から見れば同じシンママの中でも恵まれていると言えば恵まれているように見えるけれど、あくまで主観だから彼女は幸せになる条件が揃うまでは自分を不幸だと思っている。ここまではわかる。

彼女は自分を不幸だと思うあまりに、私を引き下げて自分を上へと上げようとした。それほどまでに思いつめていたのかどうかは知りませんけど、彼女の中にずっとその気持ちがあったのは間違いありません。もしも彼女がそうして精神を保ってきたのだとしたら、きっと私の態度にショックを受けただろう。

自分よりも不幸だと思っていた人が案外そうでもない(気にしていない)とわかったら、相対的に自分の不幸度数が上がるからです。私と彼女は知り合ってからの数年、お互いの生活は変わっていないのだから、現実とは何の関係もない所で不幸になったり幸せになったりってどうかしてるよ。彼女が今幸せでいさえすれば、こんな結果にはならなかったのに。

こうした小さいゴタゴタは生きていれば当たり前のようにあります。しかし一見何の関係もないように見える出来事も線で結ばれているように思えて怖い。今不幸でいることは不幸を手繰り寄せているのと同じ。意味はわからなくてもそうなのです。理解を深めた達人さんたちが、悪い事を想像できなくなると口を揃えていうのも無理はない。

あれはポジティブだからとか、願いが叶いすぎて幸せだからとかという理由だけではなかったのです。「今幸せ」でいる”必要”があったのですね。そして今幸せでいれば願いが叶うわけでもありません。文字通り今の波長と同じものを引き寄せるから、結果的に叶ったと言える状態になるのだと思う。

私の場合は今幸せになると欲求が格段に下がった。お金への欲も一気に減ったお蔭で、含み損のまま放置していた株が知らぬ間に上場廃止になっていたという始末であります(でも幸せだけど)。私は今やっと潜在意識道の入り口に立てたのではないかと思うので、こんなにボーっと今幸せで生きていていいものか、無理やりでも欲を掻き立てた方がいいのかと悩んでいる。

余談ですが、私は彼女との会話によって自分の心の位置が以前とはズレている事に気が付きました。それについてはとても感謝しています。