不可能

『この世界には自分しかいない』

潜在意識界隈にいる人なら、この言葉を一度は見聞きしたことがあるかもしれません。私も知ってたけど、ハラオチするまでには至らなかった。なのに突然、そこへ到達してしまったのだ。今でも何故そうなったのかはよくわからない。ただ、こうなってしまった以上、というかこの認識を知覚してしまったからには後戻りできないなと思う。

 

思い返せば、その予兆がありました。10月から1か月近く続いた調整期間の後、私は自分の変化に薄々気付いていたからだ。11月半ばの日記にこんなことを書いている。『私は会社の彼女も、母も、というか、誰のことも幸せにしてあげることはできません。そして私のことも、誰も幸せにはできません。』と。

『他人は私を幸せにすることはできないし、私も他人を幸せにすることはできない』

これは決して他人の能力を指しているのでも、『私を幸せにしてくれる人なんていないのよ』とやさぐれているわけでもない。私は”他人によって幸せをもたらされる状態”に疑問を感じ始めたのだ。

もしも誰かが私を幸せ(な状態)にしてくれたとしたら。その誰かを失った時、私は幸せでなくなるってことだよね。それってなんか、おかしくない?

だからといって、得たものを失うのが怖いとか、幸せになるのが怖いということでもない。「誰かに幸せにしてもらいたい」と思っていた過去の自分がいなくなっている、というのが一番近いような気がする。それはきっと不可能なのです。幸せって相手や環境によって増えたり減ったりするものじゃないと思うようになったから。

今の私は基本的に「幸せ」です。とはいえ腹が立つこともありますし、嫌な出来事だってあるでしょう。ですが「幸せ」な状態からブレることはありません。目の前の現実を見て不幸になったり幸せになったりすることがないという意味です。だから私はもうそんなことを願わなくていいのだ。

だとしても。自分だけで幸せになれるなら、他人はいらないんじゃないか?にはならない。現実世界で生きる以上、間違いなく他人は存在するのだから。「世界には私しかいないなら裸で出歩いてもいいでしょ?」とはならんからね。服が、バッグが、車が必要なように、人も必要なのだよ。

ついでに自分だけで幸せになれるなら、どんな人といても幸せなんじゃないか?というのもまた全然次元の違う話である。自分だけで幸せになれるからこそ、臆することなく選べるのですよ。わざわざ不快になる人やエネルギーを奪う人を選ばなくてよい。そういうことですね。

 

自分で自分を背負う。その覚悟ができたから『世界には自分しかいない』状態が心地良いのだと考えています。