選び直す

『他人は私を幸せにすることはできないし、私も他人を幸せにすることはできない』

私はこの真理を知るために、人生の半分以上を費やしてきたのかなと思ったりする。気づくのが遅すぎたような気もするけれど、学習能力がなかったのだから仕方ない。スピ的に言えば『完璧なタイミング』なのかもしれないし。そういえばアセンションまであと2日ですしね、ギリギリ間に合ったと喜んでおく。

 

『この世界には自分しかいない』

以前の私は過去があったから現在があるのだと信じていた。色々とわかったようなことを書いてきたけれど、全然理解はできていなかったのだろう。もちろん今も理解できてるとは思ってません。ただ今の考え方としては、『今』という現実を見て『過去』から辻褄合わせをしているだけだよね、という感じである。

過去の中には経験だけでなく知識や常識など、知覚した総てが含まれています。しかし実際には総てを知覚しているわけではありません。『ある』の裏には『ない』があるのだけど、それらは見ようとしなければ見られないからです。『ある』にしろ『ない』にしろ、それを真実としたのは紛れもなく自分自身。

ですから『自分が選んだ』ということになるのですね。「こんな人生を選んだわけじゃない」確かに起きた現象は自分が選んだものではないやもしれぬ。不可抗力ってあるんで。では何を選んだのか。思考です。自分の選んだ思考でもって、流れてきた映像に対して理由付けをする。とかく人間は理解できないものが怖いからだ。

 

『何を真実として生きるか』

これにすべてが掛かっているといっても過言ではないような気がします。その人が選んだ思考を真実として生きているだけ。とはいえ、それも立派な真実である。ただし「自分の中の」という条件付きで。自分の世界に間違いはないのだから、その人がそれを真実と思うならそれでいいのです。

 

私は長らく常識に囚われて、多数派と呼ばれる思考に無理やり自分を合わせてきました。そうでなければこの現実世界を生きていけないのだと信じてきた。『ない』世界を見ることができなかったから。そしてそれが当たり前であり最善だと思った私が、望んでこれまでの世界を選んだだけ。

自分が選んだのだから、間違ったなら選び直せばいいのよ。