ご自由に

ひどい眠気と怠さが治まった頃、ちょうど初めて某T社のリングを買った辺りから、まだひと月半しか経ってないことに驚いている。なんだかんだと休日も出掛けなければならず、引きこもりたくても神様が引きこもらせてくれない。流石に限界が近付いた昨日、夕方から爆睡しました。

世界が動き出してから、現実と思考の流れが速すぎてついていくのに必死だった。仕事の場合、私は多くの転職経験から最長1年で下積みを終えることを目標にしていた。その間に見返り除外視で基本を徹底的に覚える。基礎がしっかりしていればあとは応用でなんとかなるので、とにかく「新人だから」と悠長に構えている時間はない。

現在の会社は結構長いのでだらだら過ごしてますけど、久しぶりにそんな時期を思い出すような時間だった。今流れに乗っておかないとこの先を迎えることが出来ないという気持ちが強く、変わっていく自分はどうなのか?などと立ち止まる暇はありませんでした。

とりあえず落ち着いたかなと感じる今、数か月前に持っていた「似非弱者に搾取されるくらいなら死を選ぶ」などという馬鹿馬鹿しい考え方は消え去った。逆に「なんで私が死ななきゃならんのだ」と思っている。いや別に死ぬのはいいけど、どうして似非弱者に搾取されなければならないのかということです。

 

今「自分は不幸」だと考えている人に「思考が先」などと言おうもんなら(面倒だから絶対言わないけど)、精神論や根性論はイラネーと猛攻撃に遭う予感がする。潜在意識といえばどうしてもスピリチュアル要素を強く感じる傾向にありますが、もしかしてこっちの方が現実的なんじゃないの?と考え始めて、それは確信に変わった。

現実を生きていないのは、自称「現実を見ている」人達の方なのだと。

目の前で起きてるわけでもない過去を引っ張り出してきて「辛い」と嘆くのは本当に無駄。記憶の中の過去は変えられるけれど、現実的には不可能。変えられないとわかっておきながら捉われる意味とは?遠い世界の人と比べて勝手に不幸を感じるメリットは?今の私から見ると非現実的すぎて、夢の中で生きてるように見えるのです。

いま現実で起きている辛いことが、過去の記憶とリンクしている場合。たとえば不当な扱いを受けたと感じた時、そうなるきっかけとなった人物や出来事があれば、瞬時&自動的に過去が呼び戻される。そしてあの人がいなければ、あの出来事がなければと何の保証もないのに、なるはずだった理想の自分を想像しては再び恨みを募らせるループ。

現実に起きたのはきっかけだけで、あとはほぼ想像なんですよ。ありもしない空想の世界に思いを馳せるって、神様にお願いすることと何が違うの。「精神論など役に立たない」と言いながら”今”を見ないのはなんで?変わりもしない過去を引き摺っている間に、どれだけのチャンスを逃してきたかと思うと私は後悔しかないよ。

だからもう似非弱者に共感も同情もしない。なんと言われたっていい、私はこの真実を知っている人達と生きていきたいから、ご自由に去っていただいて結構だと思っている。それに、似非弱者に与えられるものを私は何も持っておりませんので、役に立ちませんし。