願い

似非弱者とつながりたくないと書いた次の日に、母に会いに行くとはどういう心境の変化なのか。自分でもよくわかりませんが、なんか衝動に駆られたんです。近頃の私は行動する時、頭で考えることが少なくなった。何かから送られてくる信号の通りに動いた方がいいんじゃないかと思うからです。

新型コロナの影響で休校になった子供たちの面倒を見るにあたって、会社を休んだら生活できないとかなんとか騒いだお陰で休業補償がなされるそうですね。ごく一部、昼食代まで面倒見ろとか言ってるみたいで。んー、最高にどうでもいいです。

私の小さい頃は「生活保護」と言えば眉をひそめられる存在だった。差別ではないけれど、触れてはいけない雰囲気。だから絶対に国のお世話にはなりたくないと、貧乏でも歯をくいしばって皆が耐えていたんだと思う。それがいいか悪いかは知らん。でも皮肉なことに、私から見れば今のあの人達より母の方がまだヒト的にマトモだったのだ。こんな形で母を見直すことになろうとは思いもよりませんでした。

私が徐々に備蓄をしていたのは、根本的な供給不足を恐れていたからじゃない。買い占められる前に確保しておかなければならないからです。「買い占めをやめて」そんな言葉が届くと思う方が間違っている。日本人のモラルは高いなどと、いつまでも過去の産物を握りしめていてはいけない。そろそろ現実を見ましょうよ。

私、「似非弱者に搾取されるくらいなら死ぬ」とか書いてたあの時、今の状況になっていたら何を感じ、何を思ったんだろう。さっぱり想像もつきません。当時の日記も見たくない。ほんとに、どーでもいいです(笑)

個人的には休業補償はいいとして、いま国を維持するために働いてる人たくさんいるじゃないですか。医療現場でもマスク足りないらしいんですよね。紙類や消毒液なんかを配給制にするとか、他に優先することがあったんじゃないかと思うんですよ。休校になった子供のメンタルも大事だけど、現場で働く人のメンタルも相当大切だと思うんだけども。

 

そういえばアセンションのゲートが閉じ始めるのは、諸説ありますが3月20日からだそうです。21日ともありますが、20日を境にというのは共通ですね。「自分さえ良ければいい」という考え方の人はアセンションできないらしいので、マズイですよ偉い人。

私はアセンションしたとか書いたけど、本当にそんな世界があるのかどうかは実際わからんよね。それでもあると思いたいし、あって欲しい。今耐えている人達が光で包まれる世界を願っている。