精神の二極化④

私はアセンションしたのかも知れない。もしも単なる気のせいで、していなかったとしてもそれはそれで構わないです。その時はネガティブな人に混じって生きていくしかないのだし。大丈夫。これまでもそうやって生きてきたのだから、以前よりは上手く生きていけるだろう。

少し前から「集合的無意識」というワードが気になっている。私達の意識は無意識レベルで繋がっているということらしいのですが。潜在意識系の過去スレでイソギンチャクに例えておられる人がいて、わかりやすいなと思いました。触手が人間で、一見独立しているように見えるけど土台は繋がっている。イメージ的にはそんな感じ。

レイキの自己ヒーリング必須期間が終わりに差し掛かった頃、体の境目がなくなるという感覚に陥ったことが数回ありました。そしてあのスピリチュアル体験の中、私の肉体は私のものであって私のものでないと知った。意識の中に身体があるのだと体感したのです。意識でできているけど、身体がないと三次元では意思疎通ができないもの。

無意識で繋がることをワンネス(すべてはひとつ)と言います。だけど私はワンネスという言葉にとても抵抗があった。私は似非弱者と繋がりたくないからだ。潜在意識的には全ては自分の責任。似非弱者を作ったのも自分ということになります。その意味はおいおい解るのかも知れないけれど、とにかく何がなんでも繋がりたくなかったのだ。

私の考察だと、集合的無意識=ワンネスです。ところがワンネスの世界に至るまでは魂を磨き、潜在意識にアクセスできるようにならなければならない。しかしどうやらワンネスの世界に辿り着くことをアセンションだと呼ぶらしいのですね。となるとアセンションできなかった似非弱者とは二極化によって分断されるということであって。

似非弱者がアセンションできないと決めつける理由は昔の日記から引用します。 

アセンションする人:やるべきことをする人・心を穏やかに保つ人・変化出来る人・他者をジャッジしない人・ポジティブな人

アセンションしない人:他人のせいにする人・変わりたくない人・悲劇の主人公になる人・被害者意識の強い人・依存心の強い人

私が想像する上の世界(アセンションした人の集合体)には争いがない。物質的に恵まれているかそうでないかも関係ない。三次元の世界でいわゆる「不幸」だと思われている人も当然います。それらを超えて共に生きていくんじゃないかと考えているのですが。強者も弱者もいない世界。素敵。

ここへ似非弱者が入ると途端に和が乱れ、混乱を引き起こす。だから声の大きい人を抑えるために我慢できる人は我慢してね、と不平等な平等を押し付けられるのだ。ウンザリですね。とはいえ私達が生きているのは三次元なので、これからもその図式は変わらないだろう。表向きには何も変わってないように見えるかも知れない。

だけど私には既に二極化の時代が見えている。同じ世界で同じものを見て「幸せ」と感じる人、「不幸」だと感じる人は、単なる性格や考え方の違いだけではない。しかし「その考え方は間違っている」と指摘する人も今後少なくなるような気がしている。完全に意識が交わらなくなれば認識することすら難しくなるだろうから。

私は徐々に似非弱者への関心が薄れつつあり、意識レベルでの分断はもう始まっている。