母譲り

紙がない。今日出掛けた先で、キッチンペーパーも売り切れていると聞きました。トイペティッシュは先週買ったのに盲点。そりゃそうだ、紙がないって言われてるんだもん。あちこち回ったけれど、ドラッグストアはもちろんコンビニも売り切れ。お高いティッシュがまだあったので1個予備の予備に買った。

諦めて帰ろうとした時、ふと母の顔が浮かびました。母は喘息持ちだからティッシュが欠かせない。多分生きてると思うけど、もし寝たきりになってたら買い物に行けないんじゃないかと。私は念のため、先々週くらいから徐々に長期保存できる食料などを買い始めて備蓄は終わっている。母はどうしているだろう。

買ったばかりのティッシュを持って実家に行きました。結論からいうと心配ご無用だった(苦笑)。体はピンピンしていて、ティッシュトイペは山積み。母は毎月1回まとめて大量に買い、配達してもらうそうだ。紙不足とも知らずに買ったのが、ギリギリセーフだったと喜んでました。つくづく運の強い人だ。

路上駐車をしていたから、玄関先で少し話して帰りました。母と話したのは何年ぶりだろうな。実をいうと、少し前からずっと母のことが気になっていた。高齢の母はあと何年生きるかわからないし(今日の様子を見るとあと50年くらいは生きそうだけど)、本当にこのまま一生会わずに終わってしまってもいいのか、とか。

あのスピリチュアル体験をした時の日記に、「目を瞑ると幼い頃の楽しかった思い出と共にまた涙が溢れてくる」と書いた。あの時、私は愛されていたことを思い出したのです。私の欲しがった愛はくれなかったし、親としては決して良い親とは言えないかも知れない。それでも愛がわからないなりに、子供の成長を喜んでいたのは嘘じゃなかったはずだ。

別に今更母との関係を修復したいとは思わない。何も望んでいない。それに、これをきっかけとして再び依存されるようなことがあれば容赦なく切る。私は母のために生まれたんじゃない。というか誰かのために生まれたわけじゃない。人の人生は背負えないし、そんなつもりもありません。

「冷たい」という言葉で他人を変えようとするなら、他人を変えられると思っているなら、まずあなたが変わればいい。私には私の生活と人生があるから、それらを犠牲にしろなどという要望は受け付けられない。自分の人生を背負う覚悟があるのであれば助け合いはできるけど、そうでないなら受け流します。

 

母はひもじい思いをしているんじゃないかという思いもありましたが、それも心配ご無用じゃった。どんだけ金貯めてんだ(再・苦笑)。結局、私の一人芝居だったのかなぁ。帰り際、私はたくましすぎる母を見て、少し笑ってしまった。土壇場に強いのは母譲りなのかも知れないなと。