理由はいらない

”愛を表現する石”を買うにあたり、自分的にはお金を引き寄せたのかも?とは思っていますが、私はきっと引き寄せてなくても買っていたはずで。買わなかった理由はお金の問題ではなかったけれど、これまで1年半もの間、欲しくてたまらない物を我慢した記憶がない。基本的に一括で買えないものは望まないし、買えないなら諦めてしまう。

あのリングは縁起の良い日に指を通してはみたが、身に着けてお出かけしたことはありません。今でもボックスに入ったままで、たまに眺めて愛でるだけという超特別扱いを受けています。何かにつけて雑な私でも本当に大切な物は汚したくなくなるんだと自分でも驚いている。

消費という意味なら、使い倒すのがお金の使い甲斐があるというものだろう。それでも人生で買って良かったものの上位に入る。待つ間も手にした今もずっと幸せなのだからプライスレス。とにかく待つ楽しみを経験したのは初めてのことでした。

リングを注文したのが9月、あの辺りから少しずつ意識が変わったのかも知れない。買いたい物が買えない状況はとてもストレスが溜まる性格故、こんなことになっていたのですが「まぁいいか」と流すことができるようになった。成長。

が、その「まぁいいか」の後には必ず良い事がやってくるようになって。最初は、食べたいけど別に買う程でもないような少しお高めの食べ物だった。それは職場の人から頂いたのですが、職場の人は家族から、家族は配偶者から、配偶者は上司からというようにはるか遠い所からやってきたのは面白かったです。

「まぁいいか」と買うのを諦めた後セールで安く買えたり、類似商品が偶然安く手に入ったりと、タダとは言わないまでもお得な生活が続いている。最近は知人に聞いた便利グッズを買う予定だったのですが、そのあと知人の頼み事を聞いたお礼にと、次の日にご本人から頂戴した。たまたま予備を買っていたそうで。

私はずっと働くことの対価として入ってくる収入について散々愚痴を書いてきている。労働の割に見合わないとか不満ばかりで、臨時収入にもそんなに喜んだことがない。むしろ「こんなもので満足なんかしてやらないぞ」というくらいの勢いだったと思う。そうやって今あるものに感謝をせず、「ない」ものにばかり目を向けてきた。

数か月前の自分なら今回の思いがけない昇給にどんな反応をしただろうか。給料の査定は自己愛がするのだから、やっぱり「こんなもので」と不満を持ったような気もする。気持ちの上で、素直に受け取ることはできなかったんじゃないかな。

現実的に考えれば頑張りが認められたとかそういう類の昇給なのかも知れないが(頑張ってないけど)、私はそんなことはもうどっちでもいいのです。単純にお金に対して感謝をしているから出所はどこでもいいし理由もいらない。だから私の所へ来てくれたお金さんや物には素直に「ありがとう」と思っている。

 

余談ですが、私のダイヤへの愛は収まることがなく、またまた出物を破格の値で落札してしまいましてですね、カードの支払いがトンデモないことになってますが(危)。年金二千万問題なんかシラネ。数年後に支出予想額が上方修正されたらどうするつもりなんだよ。

私は今楽しくないと嫌だ。