未来の固定

私はここ数か月、ネットの掲示板やニュースのコメント欄をよく見ていた。ハマっていたと言えるくらい暇さえあれば覗いていたのですけど、見ているのが辛くなってしまい。決して不幸な人が多いからという理由じゃなく、不満を撒き散らしている人が何を仰っているのかわからなくなってしまったからだ。

ほんの一例だけど、いじめ問題には過剰に反応するが芸能人は叩かれても仕方ない、国や社会が悪いと叫びながらも嫌いな対象から面倒だけは見て貰いたいというような。それらは一般の富裕層にまで及び、自分達に都合のよい金持ち像を勝手に押し付ける割に、我が身に都合の悪い言い分は同調圧力だと被害者面をする。

どう思おうと本人の勝手なので別にいいのですが、彼等はいつも「もらう側」に立っているんだなと思う。ネットだけではなくてリアルでも、こうした「もらう側」の人と関わるのが少々辛くなってきた。過去の私もそうだったのだろうから気持ちに寄り添うことは可能なのかも知れない。だけどそんなことに努力したくない自分がいる。

道徳的問題とは違って、寄り添ったところで何も変わらないもの。自分の意識が変わらなければ、おそらく来月も来年も数年後も同じところにいる。私はそれをやっと理解し掛けているから、未来の固定をする行為が恐くなってしまったのです。

未来の固定とは。本気でパティシエを目指している人は繁盛しているスイーツ店を見て「あそこは体に悪い物を売って稼いでいる」なんて言わないだろう。いずれ社長業を継ぐのが決まっている人だって成功者を羨むことはあるだろうが、盗めるものは盗むという意識を持っているのではないか。

つまり自分には無縁だと知っているから、いや決定しているからこそ顔が見えない相手とはいえ平気で罵ることができるのだ。かといって褒め称えれば自分がそうなるとは限らないけど、今この瞬間に未来を決定するような真似はしたくないと思うだけです。

 

私は経済観念が著しく発達していない。どんぶり勘定だし、何より数字が嫌いだ。加えて認知の歪みからか、買っただけで満足して消費せずに捨ててしまうというなんとも罰当たりなお金の使い方をしてきた。これについては過去に書いたけれど、根本的に改善したわけではなくて。

それがこの数か月の間にお金に対する考え方が自分の中で切り替わった瞬間がある。色々と考える中で、今一番身近にいる金持ち=自己愛達から、人間性はともかく彼等のお金に対する考え方を学ぶことすらありました。(観察してただけですけどね)

自己愛はなんだかんだ多額の税金を払っているし、共依存者は人生何が楽しいのかというくらいお金を使わないことばかり考えているものの、安心を貯めているのだと思えばわからなくもないし、私にはそんな自制心がない。もう一度言いますが、人間性はともかく何かに長けていることはスゴいことなんだと思うようになった。

相変わらず尊敬も感謝の念もないですけど、私の彼等に対する見方が変わった辺りから私達の関係が大きく変化したのは間違いない。特に共依存者との関係の変化は顕著で、あんなに無関心(どころか陰湿)だったのに私の仕事を理解し、サポートしようとする姿勢すら見られる。

明らかに彼等は変わったと言えるのですが、私は彼等が変わったんじゃなくて世界が彼等を変えたように見える。以前の私は自分と同じ目線で彼等を、現実を変えようとしてきた。それが視点を上げたことにより、天から神様か誰かがチェスの駒を動かすように彼等の方向を変えたような、そんな風に感じています。

現実は変えなくていい。世界を先に変える。今はなんとなく納得できるんだよなぁ。