Iさんの話43~まず自分~

すっかり話題に上らなくなったIさんですが、私は彼に冷めたんじゃなくて重要度が下がっただけのようです。想い方が変わったと言いますか。

何度も書いているように彼は笑うのが下手で、彼の方から満面の笑みで挨拶をすることはありません。こちらが笑顔で挨拶をしても、とまどったような微笑みを浮かべる程度の時もある。そんな彼も好きなのだし彼は何一つ悪くないんだけど、なんだか自分で自分に疲れてしまったのかも知れない。

そして私は「目が怖い(笑)」と会社の人に言われたほど、笑えなくなった時期がある。2か月程前だったような気がしますが、自分の中で何かしらの変化が起きていたんだろう。例え相手がIさんでも「誰かのために」笑う事に対して抵抗を感じるようになったのでした。

すると今度は彼の方から笑顔を見せるようになった(驚)。とはいえとてもぎこちなくて、自然に出ているのでないことはわかる。敏感な人なので何かを察したんだろうか。彼の気持ちはわかりませんが、努力しているのは事実なんでしょう。やっぱりこの人を好きになって良かったと改めて思う。

変わりたい・変わろうと考える人は多いだろうけど、いざ実際に行動に移せる人は私の周りにあまりいない。そもそも他人を変えるより自分を変えるという考え方の人が少ない。私も含めて自分を変えるより他人を変えたいと考える人がほとんどだったから。

『まず自分が変わる』

先日、共依存者の癇癪を受けて考えさせられたこと。

彼女の行動は完全な威嚇行動で、それによって相手をコントロールしようとする心理が働いており、私は立派なDVだと思っている(受けた私が心理的虐待だと思わなければDVとしては成立しないのですが)。彼女は相当な劣等感を抱えてるんだろうけども、彼女のしていることはただの八つ当たりである。

誰も彼女に攻撃したり傷付けたりもしていないので、目に見える現実では何も起こっていないのです。全ては彼女の中だけで起きていて、勝手にキレているだけだ。彼女は脳内で『自分から被害者になっている』ということです。そして他人のせいにするタイプの被害者は加害者になる。

「自分は被害を受けている」という意識は罪悪感を極端に薄れさせ、これまた自分の中だけで正しいことをしているような気になるのです。先日の状況の中では間違いなく私やその場にいた人達が被害者だけども、こっちの受け止め方としては何が正しいのか。

私はまず受け入れないことだと考えています。その人の劣等感も自分が受け止めたいと思うほど大切な人なら好きにすればいい。しかしそうでない場合、劣等感は相手の問題であってこちらには落ち度がないんだと知るべきだと思う。おそらく構って欲しいといった気持ちがあるのだろうが、それは勝手な希望であり叶えてあげる必要はない。

冷静に状況を見てこちらに非がないのなら、相手の意識に呑まれてはいけない。相手の頭の中で起きていることに責任を持たない、相手と自分の意識の境界をはっきり引くことで自分を被害者だと感じなくて済む。例え被害を受けたとしても自分を被害者にしない方法だと私は思っています。

先日の私は嘲笑してしまいましたが、悔しいから仕返しをしようという感情とは違う。以前なら「どうして私が」とかモヤモヤしていただろうけど、私は怒ってもいないし何も思ってない。許すでもなく我慢でもなく受取拒否をしたのみ。その結果、彼女は自分が盛った毒に当たっただけのこと。

「上手くやっていきたい」や「あいつがいなくなって欲しい」から自分を変えようと思っても上手くいかないんですね。自分の意識が変わるから状況が変化するのだと思う。いや当たり前なんだけど私は順番を間違えていたんだとつくづく思いまして。

被害を受けた側が意識を変えるのは不本意であり、なんだか負けたような悔しい気がしないでもなかったのですが、自分を変えることには多大なメリットがあります。意識を変えた側はその問題から離れることができますが、変えない人はそこに留まらなければなりません。

自分を変えられない人は変わっていく人をどんな気持ちで見てるんだろうな。毒親持ちやDV被害者にも、置いていくことこそが復讐だと強く主張したい。

私はまたIさんから大切な事を教わりました。